【#3 東京大学社会科学研究所 玄田有史 】 「手帳を使うこと」と「希望」のつながり

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みなさん、こんにちは。様々なテーマで「時間〈とき〉」をより充実させてくれるモノやコトをご紹介する「+時間〈とき〉デザイン」の第3回です。

 

今回は、東京大学社会科学研究所で「希望学」を研究されている玄田有史教授にお話しをお伺いしました。

玄田先生にお話を伺ったのは、阪神淡路大震災や東日本大震災でJMAMが被災地へ手帳を届けていたのと同様に、玄田先生もカレンダーを被災地に届ける活動をされていました。

「予定は、希望だ。」という2022年度のNOLTYのブランドメッセージに、多くのみなさんから共感のお声をいただいたこともあり、手帳やカレンダーが希望という側面にどんな影響を及ぼしているのかをお伺いしたいと思ったことがきっかけでした。



「希望」という言葉と「手帳」や「カレンダー」、どのような繋がりがあるのでしょうか。玄田先生の「希望」に対する考え方と共に、その繋がりをご紹介します。

 

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<希望学とは>

「日本は将来『希望がない』『希望が持てない』という人が増えつつあるのではないか」という疑問から、社会科学研究所が2005年度から研究をスタートさせたのが希望学です。

それまで「希望」は、個人の心の問題(心理学の研究領域)と言われてきましたが、個人が希望し叶えようとする「何か」を実現するための手段や過程は、社会状況と切っても切り離せないのではないか?という考えを大切に、社会科学の観点から研究を始めたそうです。希望学は、希望を社会と関連づけて探求する学際的学問と言われています。

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【この記事を読む上でのポイント】

・「希望」はどこから生まれるもの?

・挫折や無駄が「希望」にもたらす影響とは?

・手帳と「希望」の関係性とは?



「希望」はプロセスであり、自分で見つけるもの。

 

「希望」という言葉は、「成就させようとねがい望むこと」「よいことを期待する」という前向きでポジティブな意味が含まれています。2022年度のNOLTYのブランドメッセージ「予定は、希望だ。」の「希望」も、もちろんプラスの意味で「希望」という言葉を選びました。



一方で、「希望」について考え続けた玄田先生だからこそ「実は使い方には注意が必要な言葉でもあります」と教えてくださいました。

 


玄田先生:私は「希望」というものは、自分の中から生まれるものだと考えています。だからこそ希望について研究を進めていく中で、「希望を与える」という使い方はしない方がいいと考えるようになったんです。希望とは、“自分で見つけるもの”だったり“自分で叶える”もの。“叶えたい!と自分が思う”ことが大切なんじゃないでしょうか。「人に希望を与える」「誰かから希望を与えてほしい」という自分主体じゃない「希望」の使い方は軽はずみにしない方がいいと思っています。

 

――― 無条件にポジティブになる言葉ではなく、裏返しでネガティブにもなってしまう言葉だということでしょうか?

 

玄田先生:そうですね。希望をもって突き進んでも、叶わず失敗してしまうなど、悲しい出来事や、取り返しがつかないこともあるわけですから。私は希望学のことを「挫折学」とも言い換えているんですよ。

 

――― 「挫折学」ですか?

 

玄田先生:希望の背景には、多くの場合、挫折やトラウマなどがあることが研究を進める中で見えてきました。そこから立ち直っていったり向かっていったりするプロセスを「希望」と言うことが圧倒的に多いのです。挫折があるから希望も生まれる。だから「挫折学」とも言えるわけです。

 

――― 希望を持つためには、プロセスそのものも大切だということですね。

 

玄田先生:「トンネルの先の明るい光が希望だ」という考えもあります。が、真っ暗闇なトンネルの先の、ほのかな明かりを信じつつ「なんだかなぁ」とぼやいたり、「やれやれ」とつぶやいたりしながら、トボトボと少しずつ前に向かっていくそのプロセスそのもののことを、むしろ希望というのだと感じています。




希望を持てる社会をつくるためには“無駄”が大切

 

――― 近年、日々の暮らしや、仕事で求められること、今であればコロナなどの社会問題など、さまざまな課題が山積みで「希望」を持つこと自体が難しいこともあると思います。 

 

玄田先生:なんとなく社会が課題の解決や正解を求めることばかりになると、かえって緊迫感が高まってきて、「将来のことを考えなきゃ大変だぞ」と焦ってしまうことも多くなります。地球温暖化、感染症、不況……なんて言われると、まともな人間は生きるのが嫌になってしまいますよ(笑)。一般的には若い頃のほうが時間があるので、試行錯誤をしたり、失敗を取り返したりしやすいから希望を持ちやすいと言われます。年齢を「残された時間の量」とするのであれば、若さは本来希望と繋がっているはずなのに、若者が希望を持ちづらい社会を残念に思います。

 

――― 息苦しくなってしまいますよね。先生は著書『希望のつくり方(岩波新書)』の中で「希望との出会いは無駄からある」ということを書かれていましたが……。

 

玄田先生:今、ときラボのこのコラムを読まれている方の中には手帳を使って、自分の目標を計画立てしている方もいると思います。もちろん、それがうまく叶って希望通り進むのは素敵なことですが。

 

――― 叶っている多くは「願望」ってことでしょうか?希望は「こうあって欲しいと願い望むことや、その願い。未来に対しての明るい見通し」を言いますが、願望は「願い望むことや、その願い」と言って、希望の方が明るい未来のことを考えた意味が含まれていますよね。



玄田先生:実際は「希望」も「願望」も叶うことはそんなに多くないんじゃないかなと思います。でも、様々な出会いや出来事の中で目標の軌道修正をしたりするうちに、思いがけずこっちの方がいいなってことに出会ったりもする。だからこそ、計画を立てる“プロセス”に意味があるのです。目標や計画を立てることを「どうせ無駄なことになる」と考えるのは、もったいない。希望に一番大事なのが、この“無駄”なんです。希望がない社会は、“遊び”とか“無駄”とか“余裕”みたいなものを許容する空気がない社会です。なんとなくデジタルの影響か、0か1か、正しいか正しくないか、善か悪か、みたいなことばかりになっちゃうと、やっぱり希望っていうのは持ちにくいかなって思ったりもしますけど。あえてある程度曖昧な状態の方が遊びや余裕が出ていいんじゃないかと。こうした世の中だからこそ、手帳に書いたりしながら、「朝の一杯のお茶がおいしいなあ」と感じたりできるような、緊張を和らげる“余裕のある時間”が大切だと思います。

 

 

予定を立ててうまくいかなくても「立てること」に意味がある

 

――― 予定や目標ってその通りにいかなくてへこむこともあるけど、そんな風に考える必要はないんだと思えてきました。

 

玄田先生:それでいいと思います。今日できなかったことを、来週こそ……となんとなく手帳に書き込むことこそ、「希望」を作ることだと思いますよ。先ほども言った通り挫折をし、計画を立てるプロセスに意味があるんです。



――― それを行うことができるツールが「手帳」ですね。


玄田先生:予定を立てて書いてみて、うまくいかなかったときにはまた別のページに書き込んでいけばいい。それが叶うか叶わないかは、もちろん大きいことかもしれないけど、それよりも自分で、1つ1つ祈りとか想いを込めて書き込んでいく行為そのものが、希望を育むということかなと思います。


――― 「予定は、希望だ。」というメッセージともすごく繋がってきました。


玄田先生:聞いたとき、すごくおもしろいメッセージだと思いました。昔、希望という言葉は頑張れば叶うみたいな使われ方をしていたんですが、時代が変わって不況や災害など自分の努力ではどうにもできないことが増えたことで、希望って叶わないんだ、みたいになってきたんです。でも、予定って叶わないこともあるけど叶うこともあるから、「予定は、希望だ。」ってすごく意味が深いなって。



手帳で過去を振り返り、未来をつくる


――― これを読んでいるときラボメンバーのみなさんの中には、手帳を振り返りに活用している方もいらっしゃると思います。予定という希望を書くこと以外についてはどう思われますか?


玄田先生:手帳に壮大な希望の光となるような目標を書き込むこともあれば、自分の手で記録を書くのもいいと思います。最近見たドラマに出てきたセリフを引用すると「暗闇の中でしか見えぬものがある」。暗闇の中を進んでいく小さな歩みを記すという意味を込めて。もちろん、手帳に書いたからといってすぐに人生が開かれるわけではないですが、そこに日常生活のなかであった嬉しさとか、やるせなさとか、悔しさとかも含め、書くことで気持ちが整理されることがあると思います。


――― 書くことで整理される、というのは手帳愛用者が多いときラボのメンバーさんからもよく聞きます。


玄田先生:過去の辛かったことを、自分が今振り返ってどう受け止めているか、って考えて整理することが大切だと思います。なんといっても挫折は過去の失敗ではなく、振り返りです。希望を語れる人は、過去の挫折話がいい意味でおもしろいことが多い。ユーモアを込めて挫折を語れるようになったら、見事な振り返りになります。あのときは辛かったけど、よく考えればアホなことをやっていたな、って(笑)。





――― そんな風に振り返ることができたら、未来も前向きに捉えられそうですね。


玄田先生:過去という時間を、今の自分に引きつけて考えることができる人は、未来という時間の中にだって今の自分を見つけられるんじゃないでしょうか。“振り返ることができる”ということは、“過去に飛べる人”になるわけです。それができれば未来にも飛べます。

未来の自分を、今の自分の言葉で想像したり、ある意味で先取りしたり。手帳だったら未来の自分や、未来を想像している状態の自分と対話しやすいと思います。とはいえ、なんだか仰々しいので、「こういう風になっていたら、ちょっと面白いかな」という想像をしてみるだけでも十分かもしれません。



【この記事のまとめ】

・「希望」は人に与えられるものではなく自分の中から生まれるもの。

・挫折から立ち上がる過程の中で、無駄から学び・気付き、軌道修正しながら「希望」を育む。

・希望も挫折も時間軸で繋がっており、それを繋げられるのが「手帳」。



玄田 有史(げんだ ゆうじ)

東京大学社会科学研究所 教授

1964年島根県生まれ。1988年東京大学経済学部卒業。米国ハーバード大学、英国オックスフォード大学での客員研究員、学習院大学経済学部教授などを経て、2002年東京大学社会科学研究所に助教授として着任。2007年より現職。2005年から社会科学研究所の研究プロジェクトである「希望学(希望の社会科学)」のリーダーとして活動。主な著書は『仕事のなかの曖昧な不安』(中央公論新社、2001年、サントリー学芸賞、日経・経済図書文化賞)、『ジョブ・クリエイション』(日本経済新聞社、2004年、エコノミスト賞、労働関係図書優秀賞)、『ニート』(共著、幻冬舎、2004年)、『希望のつくり方』(岩波新書、2010年)、『孤立無業(SNEP)』(日本経済新聞出版社、2013年)、『<持ち場>の希望学』(東大社研・中村尚史・玄田有史編、2014年、東京大学出版会)、『危機と雇用』(岩波書店、2015年、沖永賞)等。日本経済学会・石川賞受賞(2012年)。




※関連記事:#3「予定は、希望だ。」メッセージ制作の裏側



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予定を立てたのに、実行できないもどかしさからストレスを感じることがありますが、先生の「予定を立ててうまくいかなくても「立てること」に意味がある」という言葉に勇気をもらいました!予定を立てる工程に意味がある!実行できないということも、ある意味挫折なのかもしれないと思い、手帳を書き続けます!

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2022.05.23