時間〈とき〉ラボ運営事務局 さん
戦後、テレビの普及とともにお茶の間になくてはならない存在となった「ドラマ」。人の心を動かし、ときには社会現象を巻き起こす力を持つドラマの魅力とは何か。脚本家として数多くの名作を生み出してきた岡田惠和さんに、ドラマ制作の裏側やつくり手の苦労、楽しさ、ドラマと時間の関係について伺った。
岡田惠和(おかだ・よしかず)
雑誌のライターを経て、1990年にドラマ「香港から来た女」(TBS)で脚本家デビュー。繊細なタッチの物語世界とポジティブなキャラクター造形、会話劇で幅広いファン層を獲得。多彩な作風で連続ドラマを中心に、映画、舞台などの脚本を手がけている。近年の主な作品として、「最後から二番目の恋」(フジテレビ)、「泣くな、はらちゃん」「ど根性ガエル」(日本テレビ)、「奇跡の人」(NHK BS)、映画「いま、会いにゆきます」「世界から猫が消えたなら」などがある。洋楽ロックを中心に音楽にも造詣が深く、NHK FM「岡田惠和 今宵、ロックバーで」ではパーソナリティを務める。
聞き手:日本能率協会マネジメントセンター 代表取締役 張士洛
「朝ドラ」ができるまで
張:岡田さんは脚本家として、これまで数多くの名作を生み出してこられましたが、脚本を書くときのパターンみたいなものはありますか。まずは場所を決めるとか、時代から考えるといったような。
岡田:僕はわりと俳優さんを決めてから書きたいタイプですね。ただ、もちろん、諸々の事情によってそうなる場合とならない場合があります。ですから、脚本家はそのときの状況に応じてオールマイティに書けないと駄目ですね。例えばNHKの朝ドラだと、最初に決めるのは場所です。
張:朝ドラはやはり場所ですか。最近では、「聖地巡り」のようなことも流行っていますので、観光にも影響しますよね。
岡田:おっしゃる通り、朝ドラと大河ドラマは、地域産業に与える影響がすごく大きいので、NHKには各都道府県の観光課の方などから、「うちの県のこの人をぜひ朝ドラに」「この武将を大河に」みたいな猛アピールがあるそうです。僕が最初に朝ドラを手掛けた頃は、まだ取り上げられていない地域を優先しようという雰囲気がありました。でも2009年の「つばさ」で、最後に残っていた埼玉県が舞台になり、それで一応ビンゴになったそうです。
張:47都道府県すべてがそろったと。
岡田:なので、そこからは割とフリーになったのですが、あまり近い地域で連続するのはどうか? という空気はあるみたいです。でも、朝ドラは地域を決めても、ずっとその土地で撮影するわけではないんですよ。見ているとわかると思いますが、ヒロインは大体あっさり上京します(笑)。
張:そこから先は、ほぼ東京あるいは大阪を舞台に話が進みますよね。作品の時代についてはどうですか。
岡田:民放のドラマはほぼ現代なので時代で悩むことはあまりないんですけど、NHKの朝ドラは基本的には昭和でも大正でも明治でもいつでもいい。だから、場所と時代の両方を考えなければいけない朝ドラは大変なんです。担当する脚本家は、次はどこの地域で、どの時代を取り上げようかと、みんな悩んでいるんじゃないでしょうか。
張:2017年の「ひよっこ」の舞台になった茨城県は、どのようにして決まったんですか。
岡田:あれは僕たちで選びました。北関東って、東京の人から見ると近くて遠い場所なんです。地方なんだけれども、東北とかに比べると近い。「ひよっこ」はまず、集団就職で東京に来るヒロインという設定を考えたのですが、当時のニュースを調べてみると、東北地方から来た中学生の映像しかないんですよ。蒸気機関車に乗って、みんな「イガグリ頭」で「ツメエリ」を着て、みたいな。でも実際には北関東も含めて日本全国から東京に来てたわけですし、もちろん何割かは高校生や女子もいた。そんなふうに、代表的な歴史のイメージからちょっと外れたものを選びたかったんです。
張:たしかに、集団就職というと東北をイメージしてしまうので、茨城から来た「みね子」は新鮮でした。そして、上京してからは、赤坂の洋食屋さんが舞台になりますよね。
岡田:ビートルズ来日の話を絡めたかったので、彼らが泊まったホテルのある赤坂にしたんです。ただ、都内には「昭和の東京」を彷彿させる場所はもうどこにもないので、東京でのロケはしてないんですよ。撮影は全部スタジオの中につくった架空の街です。
昭和の東京というのは、実は再現が難しいんです。都内は、いまどこで撮影しても現代のものが映ってしまう。『三丁目の夕日』という映画は、ほぼフルCGなのですごくよくできていますが、フルCGでつくるとなると俳優さんにはずっとブルーバックでお芝居をしてもらわなければいけないので、朝ドラ向きではないんです。
昭和を舞台にしたドラマをつくりたい人は僕以外にもたくさんいるはずなので、日光の江戸村みたいな「昭和村」を早くつくろうよって、ずっと言ってるんですけど、なかなか実現しませんね。
張:岡田さんは小説やマンガなどの原作のあるお仕事も手掛けられていますが、オリジナルの脚本を書くときとどんな違いがありますか。
岡田:原作のある作品というのはどうしても「アウェイ」な仕事になりますね(笑)。というのは、例えば、自分の好きな小説がドラマや映画になったのを観て、「あれっ?」と思うことってよくありますでしょう。「あのエピソードが入ってない」とか「そんなこと書いてないぞ」とか……。つくり手からするといろんな事情があるんですけど、原作を愛している人からするとどうしても違和感を抱いてしまう。脚本家はそれと闘わなくてはいけないんです。
張:それは確かに「アウェイ」ですね。演出やセリフを考えていく上ではどのようなことを意識されていますか。
岡田:例えばコミックの場合だったら、ひとつのコマを1秒もかけずにぱっと見る人もいれば、隅から隅までじっくり見る人もいる。つまり、読者がスピードを決められるんです。でもドラマの場合は、こっちがそれぞれの表現の「間」を決めなければいけません。それには、出演者全員がその瞬間にどんな気持ちで、何を考えているのかを設定しておかないと俳優もやりづらいし、演技も嘘くさくなってしまいます。
張:4人の登場人物のうちセリフを話しているのは一人でも、残りの3人もその場に実際にいるわけですもんね。
岡田:そうなんです。それに、小説だと主人公が心の中で何を思っているかを書くことができますが、ドラマの場合はそうもいきません。登場人物の心情を説明することなく、見る人にそれを感じてもらわなければいけない。そこが難しくもあり、面白いところです。
最近僕は『いちごの唄』という小説を書いたんですけど、そのときは脚本にはない「登場人物の心の機微を自由に書ける」という感覚がありました。でも、それだと登場人物のキャラが立ってこないから、脚本家の書く小説は文学界からあまり評価されないんです(笑)。なので今回は、主人公以外の人物が何を考えているかは書かないし考えないということを自分に課しました。
張:脚本を書く時とはまったく違う書き方をされたわけですね。小説と脚本がそんなに違うものだとは思いませんでした。
岡田:本当に全然違うんですよ。『いちごの唄』は来年映画になる予定ですが、これがまた映画の脚本ということになると、登場人物以外の心の動きや感情も考えて書いていくことになります。
張:するとセリフもまた変わってくるんでしょうね。脚本の実物ってなかなかな見る機会がないんですけど、どんなことが書かれているんですか。セリフの横に「悲しそうに」みたいな説明を入れたり?
岡田:そういうこともありますね。脚本って、基本的には関係者以外の人の目には触れない「内部文書」なので、やりたいことが伝わればいいんです。だから、書かない方がやりやすいと思うときは書かないし、「ここの無言はこういう意味です」と書くこともある。でも、日本語って難しいですよね。今度、絵文字を入れてみようかと思ってるんですよ。それが一番わかりやすいんじゃないかって(笑)。
張:絵文字ですか? すごくポップな台本になりますね(笑)
岡田:絵文字って、日本の偉大な発明だと思うんですよ。笑顔なのに「ムカつく」とか、言葉と逆の表情を選ぶというセンスも生まれるじゃないですか。あれは本当にすごい表現方法ですよね。わかりやすくていいなあって、いつも思います。
張:そもそもですけど、脚本家になろうと思ったきっかけは何だったんですか。
岡田:僕は小さい頃、体が弱くてよく学校を休んだんです。当時は学校を休むと読書くらいしかすることがないんですね。テレビは一家に一台の時代なので、ずっと独占するわけにはいかないですし、今のようにゲームもスマホもない。だから自然と本や物語が好きになって、それに関係する仕事がしたいと思うようになりました。でも、具体的にどうしたらいいかがずっとわからなかった。そのまま大人になったんですけど、あるとき偶然、本屋さんでテレビドラマの脚本が載っている雑誌を見つけたんです。
張:そんなニッチな雑誌があったのですね。
岡田:脚本家になりたい人が読む雑誌で、そこに載っていたのが「西部警察」の脚本でした。「西部警察」はアクションドラマなので、ほとんどが「大門、走る」とかしか書いてなくて、これなら僕でも書けるんじゃないかと(笑)。その雑誌にはシナリオの専門学校の広告もいくつか載っていたので、早速そこに電話しました。
張:それは何歳くらいのお話ですか?
岡田:25、6歳ですね。当時はカルチャースクールのようなものがたくさん出てきた時期で、通っているのは9割方女性でした。仕事終わりのOLさんとか、子育てが終わった主婦の方とか。ちょっと場違いな感じもしたのですが、なけなしのお金を払って入った学校なので絶対に休めない。そこで人生初の皆勤賞をもらいました(笑)。
張:その学校の講義はどんなものだったんですか。
岡田:すごく楽しかったですよ。5~6人のゼミで、毎週20枚くらいの短いシナリオを書いてくるんですけど、それを全員が読んで意見を言い合うんです。もうボコボコに打たれるんですけど、書いた本人は説明も弁明も一切してはいけない。でも、実際の仕事でも、視聴者に対して「いやいや、そういう意味じゃないんですよ」と説明することはできないわけなので、今考えても正しいやり方だと思いますね。「他人はそんなふうに受け取るんだ」「そこは伝わらないんだ」ということがわかったので、とても有意義な経験でした。
張:それが大きな転機になったわけですね。
岡田:それまで僕は、「書くのは好きだけれど、人には見せたくない」タイプでしたから、その心の壁を壊しててもらえたというか。初対面のOLさんに「根本的に好きになれません」とか言われるんですよ(笑)。でも、テレビの向こう側にはそういう人がいるんだよなって思いました。
張:そこで素直にそう思えたのが、きっと今につながっているんでしょうね。
岡田:例えば10人に読んでもらって、6人に「意味がわからない」と言われたら、それはもう誰が読んでもわからないってことなんです。今も脚本家志望の若い子に対しては、「友達じゃなくて、自分の母親に読んでもらいなさい」と言います。ほぼ分かってもらえないから。それだけ伝わらないものなんだということを知るのが大事なんです。
張:このインタビューは「時間デザイン」がテーマなので、最後に作品の中における時間の流れについてお聞きしたいと思います。ドラマでは意図的に時間を進ませなければいけないこともあると思いますがいかがでしょう。
岡田:テレビドラマの場合、時間を一気に動かすと見ている人が混乱するので、急なことはなるべくやりたくないですね。民放のワンクールの連続ドラマではそんなに激しく時間が動くことはありませんが、朝ドラの場合はけっこうあります。でも得意ではないですね。できれば自然な時間軸でやりたい。ちなみに「ひよっこ」は当初は15年くらいの話で考えていました。
張:そんなに長かったんですか!
岡田:でも、始まってすぐに「とてもそこまでいかないな」と感じ、役者さんに15歳老けてもらうのが難しいというのもあってやめました。ヒロインには小学生の弟と妹がいる設定なのですが、それだと3年経つと役者を替えなくてはいけない。大人はメイクで老けてもらえますけど、小学生に高校生の役はできないので。
張:なるほど、そういうリアルな制約もあるんですね。
岡田:ドラマなどの映像で、「これだけ時間が経った」ということを表現するのは、実は難しいんです。例えば、2時間という枠の中で3年間我慢したということをどう表現するかというと、季節が変わる絵を入れていくか、もしくは「3年後」とテロップを入れてしまう。極端な話、このどっちかしかないんです。
張:すると、「8年越しの花嫁」はかなり苦労されましたか?
岡田:あの作品はそういうタイトルですし、仕方がないですよね。最初は大丈夫かなって思いましたけど、若い役者二人がすごく頑張ってくれました。
張:すばらしい脚本でした。口コミで評判が広がっていった映画でしたよね。
岡田:あの話は、実際のお二人の結婚式の映像がYouTubeや情報バラエティ系の番組で紹介されたのが始まりなんです。なので、事実であるということの強みはあると思います。あれがフィクションだったら、あそこまで受けいれてもらえなかったかもしれません。
張:あと、2013年の連続ドラマ「泣くな、はらちゃん」は、マンガと現実を行き来していましたよね。タイムマシンのように、時間を行き来できるようなドラマを書いてみたいと思ったことはありますか?
岡田:ぜひやってみたいですね。タイムトラベルや記憶喪失というのは「定番」のテーマで、これまでもドラマや映画で何度も繰り返されてきたし名作も多い。でも、何度も繰り返されるということはそれだけ観る人の感情を揺さぶる何かがあるからだと思うんです。過去の名作との闘いになりますが、挑戦のしがいがありますよ。
張:タイムマシンは「時間デザイン」的にも興味深いテーマなので、ぜひお願いします。ドラマに、映画に、そして小説に、今後のますますのご活躍を楽しみにしています。
本日は、楽しいお話をありがとうございました。
20代はある意味、暗黒の時代。
辛うじて、もの書きの仕事はしてたけど、世の中はバブルで一番景気のいいときなのに、人生で一番貧乏だったかもしれない。
あの頃はつらかったな、、、
でも、もうちょっとだけ、頑張ってみてほしい。
やがてキミはいつもの本屋で一冊の雑誌を手にし、それをきっかけに遅咲きだけど脚本家としてやっていける日がくるよ。
ミーハーかもしれないけれど、ドラマの仕事をしていて今でも一番テンションが上がるのは、子供の頃にブラウン管の中で活躍していた憧れの人に会うとき。
この間なんか、伊藤蘭ちゃんと仕事したんだぜ!
憧れのキャンディーズとだって、ちゃんとしゃべれる日が来るんだよと、あの日の自分に伝えたい!
※この記事は【時間デザイン研究所】に掲載されていた記事を転載しています。内容は掲載当時のものです。