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【小説家・朝井リョウさん 後編】本屋大賞の受賞で、自分が書いてきたものを「それでいいよ」と言ってもらえた気がした。

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昨年刊行された小説『イン・ザ・メガチャーチ』で第23回本屋大賞を受賞した朝井リョウさん。インタビュー後編では、物語を書くことへの思い、意識して大切にしている時間やスケジュール管理に重宝しているツールなど、日常についてもお聞きしました。


朝井 リョウ(あさい りょう)

1989年、岐阜県生まれ。2009年、『桐島、部活やめるってよ』で小説すばる新人賞を受賞してデビュー。『何者』で直木賞、『世界地図の下書き』で坪田譲治文学賞、『正欲』で柴田錬三郎賞を受賞。ほかの著作に『スター』『そして誰もゆとらなくなった』『生殖記』など多数。


聞き手:日本能率協会マネジメントセンター代表取締役 張士洛(ちょう しろう)

 



1日1万歩、スマホを見ないで散歩する時間は豊かな時間〈とき〉


− 私たちの会社(株式会社日本能率協会マネジメントセンター)は、もともとは時間の生産性を向上するためのタイムマネジメントツールとして手帳を販売してきました。時代を経てそこから完全にパラダイムシフトし、今は時間を管理するよりも、時間の「先」に行って未来の時間をどうデザインするか?という視点に変わっています。朝井さんはこの「時間〈とき〉」というものをどんなふうに捉えていますか?


朝井:会社員と小説家を兼業していた時はとにかく時間がなくて、小説を書けない時間が長い分、「書きたい」と能動的に思えていました。今、完全に自分で時間をデザインできるようになっていて、そうなると「書きたい」という焦燥感みたいなものは、なかなか生まれにくいのかなとも思います。そういう意味では、時間がないのもあるのも一長一短だと感じます。


でもやっぱり、「この作品をこのテーマで書きたい」となった時に、時間に追われることなくきちんと内容を優先してスケジュールを組んでいけるというのは、作り手として本当に贅沢なことだと思います。きちんと労力を割いて一つの作品を作れるという良さは、時間をデザインできることによって享受しているなと感じます。

 


− ある程度自分で時間をデザインできる環境にある今、意識して作っている時間などもありますか?


朝井:直接的に本の仕事に関わらない時間は大切だと感じます。そんな時間を持てるということ自体、幸福ですよね。具体的には今、1日1万歩を歩くようにしていて、そうすると自然と大体2時間くらいは歩くだけの時間が生まれます。歩いているとスマホを見ないので、音楽だったりポッドキャストだったり、耳からしか情報を摂取できなくなって、それが気持ちいいです。


− 歩いていると、目に入ってくるものだったり、街のにおいだったり、そういったインプットもたくさんありそうです。朝井さんにとって、その時間は「豊な時間」と言っていいでしょうか。


朝井:散歩できること自体が、豊かさの一つの指標なんじゃないかと思います。兼業の頃は絶対にそんなことを考えませんでしたから。3駅離れていたら電車に乗っていたでしょうけれど、今は3駅くらいなら歩こうかなと思える。その思考を持てる時点ですごく豊かだと思います。私は人に取材をすることはあまりないけれど、街には結構よく行くようにしています。そうすると、具体的に「今日はこんな情報を得た!」と言えることはなくても、全体として体内に降り積もってくれる何かがあると感じます。


− ちなみに朝井さんは時間のデザインもしくは時間管理に、アナログのツールを使ったりしていますか?


朝井:手帳は使っていませんが、大きなカレンダーを壁に3ヶ月分貼るということをずっとしています。そこに予定を書き込んでいくのですが、例えばエッセイ5枚の締切と小説60枚の締切では、同じ締切でも重量がまったく違いますよね。その重量の差を感じられるようにスケジュールを書き分けたいので、何か月分かのカレンダーが一望できる状態が理想なんです。付箋をたくさん貼るということもあり、A2サイズの大きめのものをずっと使い続けています。



小説は薬にも毒にもなる。断罪される未来を思いながら書く

 


− 本屋大賞を受賞して、改めて朝井さんは小説の力、物語の力というものをどう考えているか、ぜひお聞かせいただけますか?


朝井:しっかり話せば分厚い本になってしまいそうな質問ですね。私は物語を生み出す立場としていつも、かたちとしては「本」ではあるけれど、例えば包丁や車などを作るのと同じ気持ちで、使いようによってはどうにでもなるものを生み出している気持ちでいます。


物語を生むというのは種を植えるような作業で、その種が後に薬草になるのか毒草になるのかは全然わからない。毒草でしたよと言われる可能性も大いにある。いつかこの本の内容が断罪される未来がやってくると思いながら書いています。ただ、だとしたら、今は誰が見ても毒草だと認識されているものが、実は薬草だという可能性もあるということです。現実ではなくフィクションだからこそ、そのような、「今は現実で言葉にしづらいけれど」という感情を乗せられる器にもなり得ると感じています。

 


− 「断罪」まで考えていらっしゃるとは想像が及びませんでした。では、今後どんなものを書いていきたいのか、もしお伝えできるものがあればぜひそれもお聞かせください。


朝井:前回お話ししたように、ここ数年の私の作品は、登場人物の軌跡を追う形式というよりはこの世界の仕組みを掘り下げていく方針のものが多いです。そうなると、今現実で頑張っている誰かの足元に穴を掘ってしまうような表現もたくさん出てきます。


ですから、本を出版するときはいつも、「これ、売っていいのかな」という思いも抱えています。でも今回ありがたいことに本屋大賞をいただき、「それでもいいよ」と言ってもらった気にもなれました。なので、次に書くつもりの長編も、やっぱりこの共同体の下に敷かれているものに目を向けることになりそうです。何を書くかはほとんど決まっているので、どう書くか、を試行錯誤しています。


そして、そのような私の本とは全く違う種類のいろんな作品が一つの本棚に並ぶということが大切だと感じています。本屋大賞はそれを象徴している文学賞であると思っています。ノンジャンルで、キャリアも関係ないばらばらのノミネート作品が、ひとつの棚の中に収まっている。その光景を、ぜひたくさんの人に見に行ってほしいなと思います。


− このインタビューを読んで書店に足を運んでくださる方もいらっしゃると思います。今回は大変興味深いお話をたっぷりとお聞かせいただき、ありがとうございました。




拝啓 あの日の自分


「デビューする20歳の頃、大学生だった自分へ」


こういう世界だし、この共同体にはこのような常識感覚があるのだから、こんなことはしてはいけない、こんなふうに思ってはいけないー―


当時の私はそのような逆算的な考え方をしていて、その逆算の起点となっている部分は不変だと思い込んでいました。でももうすぐ37歳という年齢になって、その起点の部分こそ、無責任にコロコロ変わるということが分かってきました。


だから20歳の頃の自分に言いたいのは、今自分が一番恥じていること、徹底して隠していることががむしろ一番の取り柄になるかもしれないし、反対に今の自分が最も誇っているもの、見せびらかしているものに後ほど苦しめられるかもしれないよ、ということ。


当時の自分自身もそうですし、今、就職や進路に迷う大学生世代にも伝えたいです。



時間〈とき〉ラボ運営事務局|編集後記


今回のインタビューで印象的だったのは、朝井リョウさんの「自分が立っている場所はどこなのか」という問いでした。答えを出すのではなく、問い続ける姿勢が、作品や時間の使い方にもつながっているように感じます。


時間〈とき〉ラボでは「時間をデザインする」ことを大切にしていますが、その中で今回とても印象的だったのが、「時間があること・ないことは一長一短」というお話でした。忙しいからこそ生まれる衝動。余白があるからこそ深められる思考。どちらが良い・悪いではなく、今の自分の時間のあり方にどう向き合うかが大切なのではないかと思います。


本を読むことは、物語を楽しむだけでなく、自分の見ている世界を少し広げてくれる体験でもあります。ぜひみなさんも一冊の本を手に取りながら、ご自身の時間〈とき〉について考えてみてください。

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