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『他人の手帳は「密」の味』著者・志良堂正史さんに聞く。他人の記憶を買い取ることで見えてきた、人間の本質

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「他人の手帳には、その人の人生がぎゅっと詰まっているんです」――そう語るのは、ゲームプログラマーとして活動する傍ら、10年以上にわたり“他人の使い古した手帳”を収集し続けてきた志良堂正史さん。


これまでに集めた手帳は2000冊以上。その一冊一冊には、誰にも見せることを前提としない「本音」や「日常」が刻まれています。今回のインタビューでは、志良堂さんがなぜ他人の手帳に惹かれ続けているのか、その背景について伺いました!



ゲームプログラマーとして、未完成のプロセスに惹かれて



 

▲志良堂正史さん。ゲームプログラマーとしての顔を持ちながら、10年以上「他人の手帳」を収集し続けている


――まずは志良堂さんのこれまでの歩みと、活動の概要について教えてください。


僕の少年時代は、とにかくファミコンやプレイステーションといったゲームばかりしている子どもでした。とある競馬ゲームが好きすぎて、一時期は競走馬を育てる牧場に入り、600キロもあるサラブレッドの世話をしていたこともあります。ただ、やはり馬の迫力に圧倒されてしまいまして。


その後、もともと好きだったゲーム開発会社に入社。そこでの経験を皮切りに、エンジニアとして通算20年ほど、多種多様な開発やシステム構築に携わってきました。現在は生成AIの活用やメディアアートなどにも携わりながら、フリーランスのプログラマーとして働いています。


「他人の使い古した手帳」の収集活動を始めたのは、2014年頃ですね。当時はnoteというサービスが始まったばかりで、そこで募集をかけたのがきっかけでした。気づけば10年以上が経ち、これまでに250人以上の方から、およそ2000冊を超える手帳が集まっています


現在はそれらを展示し、誰でも手に取って読める「手帳類図書室」を運営しながら、2025年10月に出版した書籍などを通じて、手帳に刻まれた他人の人生を発信する活動を続けています。

 

▲誰かの人生が凝縮された、使い古された手帳たち。一冊一冊に来場者が記した「感想」の付箋が添えられている(2014年の展示風景より)


――なぜ、あえて「誰かが使い古した」手帳を集めようと思われたのでしょうか。


僕の個人的な感覚として、完成された作品よりも「途中経過」や「未完成なもの」に強く惹かれるところがあるんです。本としてきれいに整えられた文章ではなく、思考の断片やメモ書きが連なる「断章」のようなものに興味がありました。


当初はゲームプログラマーとしての邪念もあり、他人の思考プロセスからアイデアを得ようという目論見もあったんです。しかし、最初に買い取った一冊には、おばあちゃんへの親孝行の決意や、友人関係の微妙な機微が綴られていました。僕が求めていた「アイデアのもと」ではなく、もっとゆるく、ほんわかとした、ただ一人の人間の生活がそこにありました


それを見たとき、これを自分一人で溜め込むのではなく、みんなで共有して味わうほうがずっと面白い方向に行けるのではないかと思い、活動の舵を切りました。



秘密と密度。2つの「密」が織りなす人間の醍醐味


 

「©志良堂正史/小学館」

▲志良堂さんの著書『他人の手帳は「密」の味 禁断の読書論』


――著書のタイトル『他人の手帳は「密」の味』にもある「密」という言葉。ここにはどのような意味が込められているのでしょうか。


そもそも他人の手帳を覗くという行為は、世間的にはどことなく「けしからんこと」として扱われがちですよね。その覗き見趣味的なニュアンスを含みつつも、僕はそこに2つの「密」を見いだしています。


1つは「秘密」の密です。SNSのように誰かに届けることを前提とせず、自分一人に向けて書かれた記録だからこそ、そこには社会的な仮面を脱いだ本音が宿っています。


もう1つは「密度」の密です。手帳には、その人が20年、30年と生きてきたリズムや癖がぎゅっと圧縮されています。ストーリーとして語りやすいものではなくても、言葉の選び方や筆跡の変化の中に、その人ならではの人間味が凝縮されているんです。


一言で言い表せない、さまざまな要素が混ざり合った人生の深み。それを「密」という言葉に託しました。タイトルで少し「バズってほしい」という目論見もありましたが、その背後にはこうした人間への深い好奇心がありました。

 

▲書き手と読み手の間に利害関係がない「匿名性」が、手帳を純粋なテキストへと変える


――他人のプライベートな記録を預かる上で、大切にされている向き合い方はありますか。


手帳は本来、誰にも見せない前提のものです。それを読むときには、ある種の「背徳感」が伴います。しかし、僕のような第三者が介在し、匿名性が担保されることで、その記録は身近な人間関係から切り離された純粋なテキストに変わります。


図書室で読むことで、書き手と読み手の間に直接的な利害関係が発生しない。この距離感こそが大切だと思っています。だからこそ、僕は集まった手帳をあまり道徳的に読みすぎないようにしています。誰にも見せない前提だからこそ書かれたメモを、そのままの熱量で受け止める。


表面的な当たり障りのない読み方ではなく、その人の「記録」にしっかりと向き合うこと。それが僕なりの倫理観であり、敬意です。もちろん、特定の個人が不利益を被らないよう、SNSへの無断転載を禁じるといった最低限のルールは徹底していますが、その中では自由に、遠慮なく楽しんでほしいと考えています。



AI時代だからこそ、最後のフロンティアとして残したい手書きの記録たち


――デジタル化が進む現代において、あえて「手書き」であることの価値をどう捉えていますか。


最近の生成AIの進化は凄まじく、効率や利便性では人間は到底太刀打ちできません。しかし、だからこそ手書きの筆跡や汚れ、書き損じといった要素は、人間に残された「最後のフロンティア」あるいは「シェルター」のような場所になるのではないでしょうか。デジタル上のテキストはAIで再現可能ですが、手書きの記録には、その瞬間そのものが刻まれています。


手帳をパラパラとめくった時に感じる、ある日突然字が大きくなったり、急激に乱れたりするリズム。それはAIが再現しようとしても「わざとらしさ」が出てしまう、人間ならではの領域です。


効率化が極まった世界で、あえて手間をかけて、自分のためだけにペンを走らせる。これからの時代、そういったことは非常に贅沢な営みになると思います。それは、自分が自分であることを確認するための不可侵な領域であり、後世に残すべき価値だと思っています。


――2000冊以上の人生を眺めてきた結果、志良堂さんが考える「人間の本質」とは何でしょうか。


 一言でいうなら、それは一人ひとりが持つ固有の「歪み」だと思います。AIや社会的な理想が提示する正解からはみ出した、その人ならではの癖のようなものですね。例えば、ある特定の文字だけを独特な書き方で崩す、脈絡のないタイミングでどうでもいいことを書き留める…。


そういった、すぐには役に立たないけれど、その人が生きていく中で無意識に獲得してしまった「違い」に、僕は人間の愛おしさを感じます。


SNSでは誰もが似たようなトーンで喋っているように見えますが、手帳の中には、100人いれば100通りの、誰とも被らないリズムが存在しています。その取るに足らない「違い」こそを、僕は人間の本質と呼びたい。


効率やスペックで人間を評価する場所からは見えてこない、もっと個人的で、自由なあり方。手帳という媒体は、そうした「残された人間らしさ」を味わうための、最良のレンズなのだと思います。


――2000冊を超える膨大な手帳を預かる志良堂さんですが、この活動を今後どのように展開していきたいと考えていらっしゃいますか。


今一番強く思っているのは、この活動を僕一人の代で終わらせず、何とか「持続可能な形」にしていきたいということです。手元にある2000冊以上の記録は、どれもかけがえのない人生の断片ですが、僕自身、あと20年もすれば今ほどのエネルギーを持続できなくなっているかもしれません。


そのとき、この預かった記録たちをどうすべきか。ただ処分してしまうのではなく、自分とは違う世代の人たちに託し、100年単位で続くプロジェクトへと育てていきたいという野望があります。


そのためには、単に古い記録を保存するだけでなく、常に「今を生きている人」の新しい記録が集まり続ける循環が必要です。手帳の面白さは、道端ですれ違っているかもしれない誰かの、今この瞬間の体温を感じられるところにあります。だからこそ、10代や20代といった若い世代の人たちにも、この価値をつないでいきたいんです。

 

▲東京・参宮橋にある「手帳類図書室」。自分のだらしなささえも愛おしく思える場所という


――最後に、自分の記録に迷いを感じている方や、手書きにハードルを感じている読者へメッセージをお願いします。


僕は、手帳をもっと「無責任に」使っていいと思っています。きれいに書かなければいけない、毎日続けなければいけない……というプレッシャーは、小学生の頃の夏休みの宿題などで刷り込まれた感覚のような気がしています。


そんな理想的なあり方でなくてもいい。どれだけ自分がだらしなかったか、どれだけ三日坊主だったかということも、立派な「そのときの事実」であり、その瞬間の記録としての価値があります。


もし自分の手帳に自信が持てないなら、ぜひ手帳類図書室に来てみてください。そこには「ほとんど何も書いていない手帳」や「支離滅裂なメモ」が、堂々とコレクションとして並んでいます。


それらを目にすることで、「なんだ、こんなに適当でいいんだ」と安心してもらえるはずです。自分のだらしなささえも1つの記録として面白がり、自由にペンを動かす。そんな風に手帳と付き合う人が増えれば、時間はもっと豊かにデザインされていくのではないでしょうか。


手帳類図書室:https://techorui.jp/

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