いまコモンプレイスを手書きする意味

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…引き続き読書記録の取り方を考えています…


コモンプレイスcommonplaceとは,個人的な参照を目的に作られる,本からの抜粋・引用集のこと。私にとっては,人文学専攻の学生が課題で作らされる学習ノートの印象が強く,辞書的な意味には含まれないはずの「学習法」のニュアンスがなんとなくつきまとう言葉だ。


伝統的なコモンプレイスの背景にある前提は,ある特定のテーマを語るなら当然参照すべきものが決まっている,という(権威主義的な)「常識」だと思う。例えば「シェイクスピア」を語るのに,『ロミオとジュリエット』しか読んでいなかったら香ばしいし,四大悲劇しか読んでいなかったら甘いし,『ヘンリー五世』しか読んでいなかったらこわい。議論に参加するための共通基盤を獲得するための学びが,本来的な意味でのコモンプレイスなのだと思う。そしてこういう意味でのcommon性は,今私がノートの書き方を検討するうえで,たぶんあまり考慮の必要がない。


現代でもコモンプレイスは,紙のノートで行われることがあるようだ。(日本では文具メーカーが色分けノート術として売り込んだので,紙がふつうかもしれない。)書き写し作業の容易さ,検索性,持ち歩きの便利さを考えると電子一択なのだけれど,もし手書きにしかない良さがあるとしたらそれは何なのかなぁと考えてみた。


シカゴ大学のWebサイトでは,学生が難しい文章を理解する際に役立つ方法としてコモンプレイスが紹介されていた。この執筆者は紙でも電子でも良いという立場。

https://academictech.uchicago.edu/2024/06/24/use-commonplacing-to-help-students-better-understand-difficult-texts-habits-of-mind-series-part-1/

日本でも,文献講読のゼミでは本文抜粋のレジュメを作らせる教員が多いと思う。たしかに私も,レジュメを作った文献の方がじっくり読みこんでいたかもしれない(ただ,発表を伴っていたのでそっちのせいかもしれない)。原文に密着した(というか原文から乖離しない)議論をするには抜き書きは有効。


大学の授業で知ったやり方としてコモンプレイスを紹介しているページ。(ただ,学生の時にはその意義が理解できなかったと書いている。)

https://nicoledonut.com/issue-64-keeping-a-commonplace-book/

自分の解釈を形作る文脈としてコモンプレイスを読み返せるという話は,私が手書きに執着する理由とも重なる。後からの利用を考慮して電子データを作ると,記録したシチュエーションに関する情報はノイズとして消してしまうことが多い。書き込みのない文献複写や新聞の切り抜きと同じで,時間が経つと「何のためにとっといたのかわからない」データになりがち。


大学生に実践させた例(学生の感想,実例あり)。

https://www.k-saa.org/commonplacing-special-issue-vol-2/thirteen-ways-of-looking-at-a-commonplace-book

「記憶や理解において,手書きに優位性があるという先行研究があることは知っていたが,自分で試して初めてその効果の大きさを知った」みたいな感想が書かれている。まぁ,そうでしょうね。


デジタルからアナログに移行した人の話。

https://emilyrudow.com/blog/a-simple-guide-to-the-commonplace-book/

本に直接印をつけたり感想を書き込んだりする→アプリに記録するという方法をとってきたけれど,そもそもデジタルがあまり好きじゃないのでノートにしました,という例。「本に直接書き込み」は私も学生時代にやっていたけれど,本を処分しにくくなるし,記録が散逸しやすいので今後はなさそう。この人の丸シールによるトピック別色分けは日本で流行ったものに似ている。


Bullet Journalで白紙のノートに注目が集まっているけれど,コモンプレイスはそれより前からあったんだからね!という,「紙のノートの使い方」から出発した記事も見つけた。

https://notebookofghosts.com/2018/02/25/a-brief-guide-to-keeping-a-commonplace-book/

(子ども時代のオタク趣味で,新しく得た知識を記録しようとするうちに自然にコモンプレイスにたどりついていたというエピソードは,ノート好きあるあるだと思う。子どものころはともかく意味もなく書きたかった。)

BuJoを紙のノートで作るメリットは充分に体感しているので,その延長線上で考えるならコモンプレイスも紙でいいのかもと思った。


ところで,この文章はOneNoteに作っていた趣味の調査メモを,時間ラボ投稿原稿のセクションに移動・編集して作成している。元の調査メモはある種のコモンプレイスだったと思うのだけれど,電子でなかったらリンク先の記事の内容をちまちま書き写していたのかなとか,それだったら将来的に参照先のWebページが削除されてもメモの価値が減らなかったのかもとか,いやでもそんなめんどくさいこと私にはできないのではとか,いろんなことを考える。


手書きの意義を解明したとしてこすり倒された研究に,MuellerとOppenheimerの2014年の論文The Pen Is Mightier Than the Keyboard: Advantages of Longhand Over Laptop

Note Takingがある。(この研究では,講義ノートを手書きするかPC入力するかで,内容の記憶度・理解度が変わることを実験で明らかにした。ざっくり言って手書きの方が好成績。)

今回コモンプレイスについて考えるにあたって思い出したのは,この研究の考察で,手書きした学生は講義内容を要約して書いたのに対し,PC入力の学生は逐語的な記録をとったため成績が悪かったのではないか,と指摘されていたことだった。手書きかPCかという問題と,要約まとめか逐語記録かという問題とは,本来切り離して検討すべきことだと思うが,この研究では,「逐語記録をやめろと言ってもPCでノートをとる学生は逐語記録を続けるんだもの」みたいな言い訳をしている。


抜粋集たるコモンプレイスのカナメは,他人の文章の丸写しである。なんも考えずに写してるだけmindlessly transcribingの奴は成績が悪いという意見もそこまで直感に反しないが,たとえば高校生の頃に手を真っ黒にして古文漢文を書き写し語釈をやった時の学びの深さを思うと,「書き写したから身になった」みたいなこともあるでしょうねという気がする。


今もコモンプレイスを手書きする意味は,たぶんある。今回の調査では,そこまで納得する答えは得られなかったけれど,何をどのように記録していくかを検討するにあたって,参考になる情報が得られた。私の場合,手書きノートには趣味の側面もあるので,実際にあれこれ試しながら答えを見つけていけたらいいなぁと思う。


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 引用集-中学生のころよく作りました。特にcommonplaceという意識はなく,自分のための箴言集,アフォリズムをまとめて生きる指針にしたいと思っていたのでしょうね。コクヨのフィラーノートを使っていましたが,1961年の販売開始から数年後だと思うので,学習帳じゃないノートを持つことのうれしさもあったのだと思います。自分なりのレポートやエッセイめいたものにもこれを使っていて,1つのテーマを最後の行で終わるところに妙な達成感を感じていました。

 抜き書き,書写については,マルクスのロンドン・ノートや南方熊楠のロンドン抜書など,大英博物館での作業がよく知られていますが,私もテーマを決めて国会図書館で抜き書きをしていますと,その問題に取り組んでこられた先人たちが筆を走らせつつ思索する息づかいが直に伝わるように思います。…といいつつ,私自身は内容を要約しつつ,テキスト入力しています。もう長文を手書きした時代には戻れません。関連トピックを探すにも検索の便利さは紙にはないものです。

 現在はこれらの要約引用から「その先」を問いのかたちにしてChat-GPTやGeminiに投げかけ,その回答の「要約引用集」を作っています。これもまたコモンプレイスでしょうか。

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2025.12.26

私も小学生の頃,おこづかいで初めてキャンパスノートを買ったことを覚えています。急に大人になったような気がしてうれしかったなぁ。もっとずっと高価な文具を簡単に買えるようになってしまいましたが,当時の気持ちを忘れないようにしなければと思います。


どんなノートがコモンプレイスに該当するかは,書く人(コモンプレイスの場合,編集者compilerと呼ばれるのがおもしろいと思っています)が決めたらいいのでしょうけれど,個人的には,要約ではなく原文引き写しであることを特徴とすると,有用な定義になるのではと考えています。(というか,そうしないと際限なく範囲が拡大して,概念として「自由帳」や「備忘録」「勉強ノート」と変わらないものになりそうです。)

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2025.12.27