【小説家 瀬尾まいこさん】子や生徒に注ぐ愛のまなざし 時間が結びつきを強くする

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2019年の本屋大賞受賞作品『そして、バトンは渡された』の主人公・優子は、父が3人、母が2人という複雑な家庭環境で育った。それにもかかわらず、優子は目の前の変化を淡々と受け止め、自分なりの人生をひたむきに生き抜こうとする。中学校教師の経験もあるという著者の瀬尾まいこさんに、親と子、教師と生徒のあり方や、ご自身の時間デザインについて聞いた。


瀬尾まいこ(せお まいこ)

1974年、大阪府生まれ。大谷女子大学国文科を卒業後、中学校の国語教師に。2001年、「卵の緒」で坊ちゃん文学賞大賞を受賞し、同名の単行本で翌年デビュー。2005年「幸福な食卓」で吉川英治文学新人賞、2008年「戸村飯店 青春100連発」で坪田譲治文学賞を受賞。他に、高校の文芸部顧問の再生の物語「図書館の神様」、金髪ピアスの16歳が1歳児の面倒を見る「君が夏を走らせる」など多数。「天国はまだ遠く」「僕らのごはんは明日で待っている」など映画化された作品も。


聞き手:日本能率協会マネジメントセンター 代表取締役 張士洛


子どもを通して明日が2つに



張: 2019年「本屋大賞」の受賞、おめでとうございます。待ちに待った受賞でしたか。


瀬尾:ノミネート後に担当編集者から「本屋大賞は縁や運がありますし、今回は素晴らしい作品がたくさんありますから…」と、慰めのようなメールを毎回もらい、「実は結果を知っているのかな、早く言ってくれればいいのに」と思っていたので、まさか大賞を受賞するなんて、びっくりでした。


張:瀬尾さんが期待しすぎないよう、編集者の方も気遣われていたんですね。受賞を聞かれてどうでしたか。


瀬尾:嬉しかったです。身近でありながらすごく大きな賞なので、とても光栄でした。


張:手作り感があって温かい、読者のための賞ですよね。


瀬尾:普段本をあまり読まない人にも手に取ってもらえる機会になると思いますね。


張:今日は先生にいろいろなお話を伺えればと思います。


瀬尾:先生!? 私のことでしょうか。


張:作家の先生ということで呼ばせていただきましたが、過去に学校の先生もされていたんですよね。


瀬尾:なんだか政治家になったような気分です(笑)。


張:では今日はその気分でお答えいただければ(笑)。今回の作品では、メインは優子の高校3年生の1年間ですが、幼少期に母を亡くしてから成人後まで、すごく長い時間を描かれていますね。先生から見て、高校3年生とは、どんな位置づけですか。


瀬尾:深い意味を込めて高校3年生にしたわけではないですが、社会に出るにしろ、大学へ進むにしろ、自分で次の一歩を踏み出す世界を選択する時期だと思います。


張:ご自身の高校3年生時代はいかがでしたか。


瀬尾:教師になりたくて、でも内部進学で大して勉強もせず、のほほんと生きていました。


張:そうでしたか。保護者が次々と変わる中で、感情を抑えて淡々と振る舞う優子の姿に、すごく我慢しているのかなと感じました。思春期も含めて、親子関係をどんなふうに捉えて、作品を執筆されていましたか。


瀬尾:もちろん最初は我慢していますが、いろんな人から愛情がたくさん注がれていく中で安定していく部分もあるし、逆に家族を割り切って考え、冷めた感情で大人びていく部分もあります。でもすべての親からちゃんと愛情を受けているから、根本では揺るがない、しっかりしたものが彼女の中にでき上がっていったのかなと。


張:今回重要なのは、血のつながりがない親子を描いている点ですよね。そこは何か意図して?


瀬尾:中学校の教師時代、担任した生徒をわが子同様に可愛いと思っていました。でも周囲からは「わが子が生まれるともっと可愛いよ」と言われたんです。そして、わが子が生まれてみると「一緒だな」って。手のかかり方は当然違いますが、血がつながったわが子も、担任していた生徒も、同じくらい愛情を注げる相手だなと。


張:そうですよね。私も高校時代に野球部に所属し、部活の恩師が半分、親のような存在でした。当然、親も尊敬しますが、部活の恩師も一生ついて回る関係です。師弟ではありますが、高校3年間、部活で指導を受けることは、親のような愛情を注がれていることなんですね。血のつながらない人たちが愛情を表現するとき、家族の時間はすごく大事だと思いますが、作中の「森宮さん」のような人は本当にいるのでしょうか。


瀬尾:特定のモデルがいるわけではないですが、どこかに似たような人はいると思いますよ。子どもを目の前にしたら、ある程度、覚悟を決めて親になろうとする人が。中学校で働いていて、自分より若い世代といると、途端に楽しくなるというか、それだけで満たされる感覚がありました。森宮さんも優子がいることで幸せを感じられたんだと思います。


張:そうですね。こんな人が世の中にもっといてほしいなとも思いました。それこそ血のつながった親の児童虐待もニュースで見聞きする時代ですから。森宮さんへの特別な思いはありましたか。


瀬尾:親として理想ですし、子どもが生まれたら、こんなに毎日がきらきらするということを読者に知ってもらいたいという気持ちも、もちろんありました。


張:「親になると明日が2つになる」という表現も印象的でした。親から子どもを眺めると、自分とは違う明日を子どもが過ごしている。パラレルワールドを感じましたね。


瀬尾:子どもが過ごす明日には、大人の自分の明日より、はるかに大きな未来があります。一緒にウキウキ、ワクワクするし、ドキドキできる。自分1人の明日にはそんなに特別なことがないけれど、子どもがいると、2倍、3倍の時間を一緒に過ごせている気がします。


張:その表現にすごく感動しました。でも先生ご自身にも、本屋大賞の明日がやってきましたよね(笑)。これは十分にすごいことだと思います。


感情表現は直球勝負



張:優子と森宮さんが、夕食やスイーツを共にする場面が多く、夜の食事を通じたひとときの描き方が、読んでいてとても楽しかったです。先生ご自身の子ども時代も含め、食事のひとときに対する思いは何かありますか。


瀬尾:食べ物のシーンをよく書くので、料理が好きかとよく聞かれるのですが、つくるのではなく食べるほうが好きです(笑)。好きな人と好きなものを食べておしゃべりするのが一番落ち着くなぁと思いますね。


張:食事中の親子の会話をすごく大切に描かれている印象でした。


瀬尾:そうですね。優子は思春期だから、普段、面と向かってはそんなにしゃべらないけれど、食事の最中は自然と会話が生まれてくるんです。


張:しかも森宮さんの食へのこだわり方が面白いですね。朝のかつ丼には驚きました。


瀬尾:小説を書くときはいつも、面白いと感じ、笑ってもらいたいと思っています。「朝だ!気合いだ!かつ丼だ!」という親のイメージを森宮さんが持っていることも表したかったんです。


張:森宮さんが食事づくりにこだわるのも愛情表現からでしょうか。?


瀬尾:食事で愛情を伝えようという意識はないけれども、優子のことを一生懸命に考えるあまり、ああいう食事ができ上がるんだと思います。


張:そうですよね。一流企業で働くバリバリのビジネスマンでありながら、娘につくる食事に時間をかけている。料理に手が込んでいますよね。かけた時間の量が愛情の表れですか。


瀬尾:意図せず、彼は自然にできるんですね。私は娘のごはんにそこまで手をかけないので。


張:かけた時間の長さだけじゃなく、濃さも大切ですよね。忙しくて、どんなに短い時間でも、心を込めてつくるとか。


瀬尾:心は込めていないけれど、子どもはすぐ喜びますね。おにぎりをお皿じゃなく、お弁当箱に入れるだけで「やったー!」と大はしゃぎ。こんなに簡単なことで喜ぶなら、いくらでもしてあげたいなと。


張:それも親の愛情ですね。優子は実母を亡くし、結果的に3人の父と2人の母を得ますが、ご自身の両親と、親としてのお子さんへの接し方との違いはありますか。


瀬尾:うちは母子家庭なので、母しかいませんでしたが、母はバリバリ働いていたので、割と忙しかったと思います。でも、小学校のころから教師になりたいという私の夢が叶うよう、大学に進学させてくれて。それが母の愛情でした。


張:お母さまなりに先生の夢を理解されていたんですね。


集中できる時間には限りがある



張:親であっても教師であっても、子と生徒に注ぐ愛情は同じとのことですが、愛情の注ぎ方に違いはないのでしょうか。


瀬尾:教師の場合、期間が決まっていますよね。たとえば卒業したら、生徒にとって私は通過点でしかありません。親は終わりがない分、ずっとですよね。なんか重いですね。


張:そういう重さはありますよね。


瀬尾:終わりがないと思うと、ぞっとしますね。子どもの成長をずっと見守れるのは嬉しいけれど。


張:本当に。でも、いつも新しい明日があるのは素晴らしいなと思いますね。


張:「執筆しながら登場人物のキャラクターや物語の方向性が見えてくる」と過去のインタビューでお話されていますが、先生にとって執筆とはどんな時間ですか。たとえば時間に追われるとか、時間を忘れてしまうとか。


瀬尾:時間を忘れることはないです。でも書くのは楽しい。ゲラをチェックするのは嫌いですけれども(笑)。ストーリーを追いかけている間は楽しいですね。


張:創作がとにかく楽しい?


瀬尾:そうですね。説明文は苦手ですが、会話文の執筆が面白くて、楽しんで書いています。朝、娘を幼稚園に送り出したあと、10時くらいから「さあ書こう!」と切り替えるときが楽しいですね。それから昼食をとって、午後またちょっとだけ書いたら、娘が帰ってくるという感じです。


張:お子さんが帰ってからは、そういう時間は取れないですよね。


瀬尾:音がしたり、他人がいたりすると書けないタイプなので。


張:お子様が寝た後は…。


瀬尾:だいたい一緒に寝てしまいます。


張:じゃあ本当に午前中が勝負ですね。


瀬尾:はい。そうですね。


張:すると、お子さんが成長したら、執筆時間は長くなりそうですか。


瀬尾:私の場合、集中できる時間は決まっているような気がして。時間がたくさんあってもただぼーっとするだけです。自分の集中力は3時間ぐらいがマックスだと思います。


張:先生にとって、執筆時間は長さではなく濃さというわけですね。


瀬尾:そうですね。短くても長くても、書ける量は一緒だと思います。


張:それはご結婚後やお子さんができる前も?


瀬尾:一緒でした。中学校で働いていたときも、そんなに書く量は変わっていません。


張:教師時代は平日の昼間は時間がとれないからでしょうか。


瀬尾:夜だったり、土日だったりしましたけれども、1日のコアタイムの長さはだいたい同じです。


張:なるほど。それも大事な時間の使い方ですね。


1割の良いことが励みに



張:暗い感情や悲しい出来事を書くより、読んだ人がちょっとでもいい気分になれるものを書きたいとのことですが、ご自身がそういう気持ちになるのはどういう瞬間ですか。


瀬尾:やはり、家族と過ごすときでしょうか。イライラもするし、面倒くさいですけれど、娘と夫と、何かぼんやりしたり、公園に行ったりするのはやっぱり楽しい時間ですね。


張:親子3人での時間はけっこう取れている?


瀬尾:土日は取れています。近所の公園に行くだけですが、喜ぶ姿を見ると嬉しくなります。いつも3人で行動するのもワンパターンだけど、まぁそれが楽しいのかな。今しかないですよね。だんだん一緒にいてくれなくなるから。


張:たしかに、子どもが大きくなるとなかなか。独身のときや、お子さんができる前はどうでしたか。


瀬尾:学校で働いていたときは、しんどいときもたくさんあったけど、やっぱり生徒が何かを乗り越えたり、何かに熱中したりする姿を見るのは好きでした。ハラハラドキドキの連続だったけれど、ここのつしんどいことがあっても、ひとつ良いことがあったら、それで先生をやっていてよかったと思える。中学校の先生はみんなそんなふうに仰いますよね。ちょっとこれ頑張ってみるわ、という生徒の姿を見たら、すべてが報われるような、ほっとするような…。


張:1割でも喜ぶ顔を見られたら、ほかの9割が救われると。教師の、そして母親の鑑です。


瀬尾:いや、違う違う。めっちゃいい加減や(笑)。朝ごはんが、パンとチーズだけの日もある。良いんでしょうか(笑)。


張:いいんじゃないですか(笑)。ところで、教員採用試験に合格されるまで10年かかったとのことですが、その10年間はどんな時間でしたか。


瀬尾:最初の3年間は受けては落ちての繰り返しでした。試験に合格していなくても、講師という立場で担任は持てるので、とにかく学校で働ければいいや、という気持ちでした。ただ正教員にならないと、一生続けられないから、採用試験は受け続けました。不合格が嫌で挫折しそうになったことはありませんでしたね。


張:結構大変ですよね。9年間も受け続けるなんて、すごい忍耐強いなと。


瀬尾:私たちの年代は採用数も少なく、8月になると講師の先生みんなで受けに行って。それが年中行事になっていたような。


張:「講師」というのはどんなお立場なのでしょうか。9年間もやっていたら異動もある思いますが、どんな学校でも生徒たちと楽しく過ごせましたか?


瀬尾:講師は講師で楽しいと思いますよ。学校ごとに異なる雰囲気も新鮮ですし。産休の先生の代わりに臨時で入ったり、1年間、担任としてがっつり雇用されたり。仕事がなくてアルバイトをしているときもありましたよ。


張:担任を持つとまた変わりますか?


瀬尾:それはもう、生徒はみんな自分の子ども状態です。


張:森宮さんになれる瞬間ですか?


瀬尾:私はベビーブーム世代で子どもの数も多かったので、教師は子どものことを一人ずつよく覚えていないんだろうなって思っていました。でもいざ教師になってみると、実は子どものことをすごくよく見ていて、生徒たちが考えていることはみんなばれていたんだって、気づきましたね。


張:優子が過去を振り返ることで自分の立ち位置を見出すようなシーンが多くありますが、先生にもそんな思いが強くあるんでしょうか。


瀬尾:私はないですね。過去ばかり追いかけても仕方ないと思っていますから。


張:その発想はけっこう大事ですよね。優子自身がそうであるように、過去を振り返る目的は、未来を見ることです。過去をデザインすることはできませんから。必要なのは未来のデザインですよね。


瀬尾:めっちゃ良いこと言わはるじゃないですか! その通りだと思う、私も(笑)。


張:いやいや(笑)。私どもでは、中高生の手帳の活用事例を表彰する「手帳甲子園」というイベントを毎年開催しています。まるでアート作品のような生徒たちの手帳の書き込みを見ていると、彼らは手帳を通じて時間管理ではなく、未来を描いているんだって気づかされたんです。フォーマットとガイドラインだけは事前に提供しますが、本当にびっくりするような自由で創造的な使い方をしているんです。


瀬尾:子どもたち、書くの好きですもんね。


張:いつか先生も甲子園に来て、子どもたちにメッセージをいただければ有難いです。


瀬尾:メッセージなんて。私も応募するほうでいいですよ。


張:それには先生、または元先生部門を作らないと(笑)。今日は楽しいお話をありがとうございました。




拝啓 あの日の自分


「病気で入院したときの自分へ」


これまでしんどい経験って、ほとんど記憶にないんだけれども、強いていえば、病気をしたときかな。1カ月くらい入院したときは、病気も入院ももうイヤ!って思った。とくに手術の後は、麻酔が利いていて動きたくても動けない。とにかく喉が渇いて水が飲みたくて辛い思いをしたから、濡れタオルでもいいからベッドの脇に用意しておくといいよとか、その程度(笑)。つらかった過去ばかり見ても仕方がないよね。未来の、これから起こることを大切にしないと。



※この記事は【時間デザイン研究所】に掲載されていた記事を転載しています。内容は掲載当時のものです。

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