【国立科学博物館 海部陽介さん】3万年の時を遡り、 日本人のルーツに迫る

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遠くアフリカで発生した現生人類は、どのようにして日本列島までたどり着いたのか。この謎に迫るため、2016年、「3万年前の航海 徹底再現プロジェクト」と呼ばれる実験が始まり、大きな話題を集めた。3万年の時を遡るプロジェクトを主導する、国立科学博物館の海部陽介氏に話を聞いた。


海部陽介(かいふ ようすけ)

1969年東京都生まれ。東京大学大学院理学系研究科博士課程中退(就職のため)。理学博士。国立科学博物館人類研究部人類史研究グループ長。「3万年前の航海 徹底再現プロジェクト」代表。ジャワ原人やフローレス原人をはじめ、アジアの人類化石に精通する。著書に「人類がたどってきた道」(NHKブックス)、『日本人はどこから来たのか?』など。「アジアにおける人類進化・拡散史の研究」で第9回(平成24年度)日本学術振興会賞受賞。


聞き手:日本能率協会マネジメントセンター 代表取締役 張士洛


3万年の時を遡る実験航海



張:海部先生は、人類学者として日本人のルーツを研究されてきました。その一環として2016年から「3万年前の航海 徹底再現プロジェクト」を主導されています。NHKでドキュメンタリー番組が制作されるなど、注目度の高い取り組みですが、とりわけ台湾から琉球列島に至るルートに関心を持たれた理由は何でしょうか。


海部:日本列島に人類が渡ってきたルートは、北海道ルート(2万5000年前)、対馬ルート(3万8000年前)、沖縄ルート(3万5000年前)など複数考えられますが、いずれのルートを選んだにしても、海を渡らなくてはなりません。なかでも、台湾から琉球列島に渡る沖縄ルートは、黒潮の強い流れを乗り越えなくてはならないので、特に難しい。その困難をどうやって乗り越えたかを知りたいと強く思ったのです。


張:番組を拝見しましたが、素人目にも、強い黒潮の流れを乗り越えるのは相当難しいと感じました。当時もいまも、命がけのチャレンジですよね。


海部:ホモ・サピエンスと呼ばれる現生人類は、30~20万年前にアフリカで進化したと考えられ、その後、世界中に広がっていくのですが、海を渡るだけでなく、シベリアのような北方の寒い地域にも進出していますし、そこからさらにアメリカ大陸にも渡っている。5~1万年前という時代は、世界各地で未踏の地にどんどん人類が進出していった、まさにフロンティアの時代だったのです。


張:でも、どんな動機があって、どうやって移動したのかは謎というわけですね。


海部:そうです。僕の研究の目的は、これまで誤解されてきた祖先たちの正しい姿を解き明かすことです。でも、部屋にこもって文献や地図を見ながら、ああだこうだと言っているだけでは、本当のことはわからない。海を渡るということがどれだけ難しいのかを本当に理解するためには、自分たちでその苦労を体験するのが一番早い道だろうと考えて、実験航海を思い立ったのです。


張:その実験航海では、草束舟、竹筏舟、丸木舟といった、当時使ったであろうと考えられる舟を、石器などすべて当時の道具や材料だけを使って再現されていますね。


海部:僕らは通常、遺跡を発掘して、そこから出てきた骨や石器といった「モノ」を研究します。これは、いわば物的証拠で、研究において最も重要な要素ですが、当然、遺跡に「残っていないこと」もたくさんあります。当時の舟にしても遺跡には残っていないので、物証からどんな航海をしたのかは証明できません。そこで、違うアプローチから真実に近づくために、当時の道具や材料を使って舟を再現することにしたのです。


張:当時の道具や材料だけを使うということは、制約も多かったのではないでしょうか。


海部:たしかに苦労は多かったですが、やりがいのほうが上回りましたね。僕一人だけではなく、それぞれの道の専門家が集まって協力して、知恵を出し合いながら取り組みましたから。組織をまとめるのも大変でしたが、プロジェクトを通じて新しい発見がいくつも得られたので、成果も大きかったです。


張:参加してくれた人は、海部先生の熱意に共感しながら、それぞれ新たな目標を見出して取り組んでおられるように見えましたが。


海部:皆さんそれぞれの立場で、「想い」をもって参加してくれていると思います。研究成果を求める人もいれば、自分の専門分野を役立てようと参加してくれた人もいる。まさに多様です。お金を儲けるためのプロジェクトはありませんから、参加した人にとって得るものがあれば、結果としてはそれが一番よかったかもしれないですね。




上から、草束舟、竹筏舟、丸木舟

写真提供:国立科学博物館 「3万年前の航海 徹底再現プロジェクト」


3万年前の祖先たちに共感する



張:3万年前の人たちも、プロジェクトの皆さんと同じようなチャレンジ精神をもっていたと考えると、「想い」という点では、時を超えて当時の人たちと近づけたのではないでしょうか。


海部:彼らの体験したことをなぞったという点ではそうかもしれませんね。番組でご一緒した女優の満島ひかりさんは、「役者の仕事と似ているかも」とおっしゃっていました。自分たちは、そんなことは思いもしませんでしたが、よくよく考えてみたら、僕らも昔の人を演じていたわけです。


張:当時の人たちと同じものを見て、同じ気持ちになって考えたことが、役者のようだと。


海部:例えば、現代人がどこかに出かけるときには、たいてい地図を頭に思い浮かべます。この先をこう行けば、ここに着くと。でも、当時地図はありませんから、そう考えないように頭をリセットしなくてはならないのです。彼らにとっての世界は視界に見えている範囲のものだけで、その先にあるものは未知の領域です。そうやって頭をリセットして、物事を考えていけば、おっしゃるように3万年前の人たちと共感できるのかもしれません。


張:舟などのモノをつくるだけでなく、心の部分も当時に近づけようというわけですね。


海部:皆で汗を流して舟をつくっているときにふと感じたのは、こんなに大変な思いをしてまで海を渡りたかったのかという、当時の人たちのモチベーションです。きちんとした舟をつくるのはかなり大変で、いい加減につくった船は沈んでしまう。つまり、命がかかっているのです。それでもやるというのは、よっぽど海に出たいということの裏返しなはずです。そういうことは、自分自身、これまでの研究では考えもしないことでした。


張:わざわざ危険を冒す必要がないのに、あえて海を渡る強い動機があったと。


海部:ある程度自信がないと海に出られないと思うんです。ということは、当時すでに航海に耐えうる技術やノウハウが蓄積されていて、経験的に「ここまでは行ける」と知っていたのでしょう。加えて、どこまでやったら危ないというのもわかっていた。死にたくないのは当時の人も同じですから、死ぬような危険は冒さない。一方、僕らは初めてつくる乗ったことがない舟なので、そこがわからない。だから怖いんです。


張:当時の舟で実際に海に出てみて、いかがでしたか。


海部:まず、あの黒潮が流れている海を渡るのはとても難しいということ。僕らは、草束舟、竹筏舟と試しましたが、一度も成功していません。海流の速さに対して僕らの舟、昔の舟は遅いんです。


張:それでも、大変な困難を乗り越えて、渡っていったという事実は動かしがたい。


海部:そこなんですよ。たまに誤解されるのですが、僕らは「渡ったこと」を検証しているのではなくて、「どうやって渡ったのか」を追究しているのです。渡ったことは事実ですから。


張:加えて、地図もコンパスもないなかで、方角を認識しなくてはなりませんよね。それはどのようにしていたと考えられますか。


海部:先ほどお話したフロンティアの時代の後も、人類は拡散を続け1000年前までにはハワイに達していますが、そこでは星などで方角を定めることがなされていました。おそらく同様のナビゲーション技術が、古くからあったのだと思います。


張:台湾から、めざす島々は見えないんですよね。


海部:台湾の高い山の上に登ると、幸運に恵まれればですが、与那国島が見えることがあります。ただ西表島や、その先の宮古島と沖縄島は、どんなに高い山に登っても見えません。地球は丸いので、水平線の向こう側に隠れてしまうからです。だけど、どちらの島にも人がいる。つまり、どこからか「見えない」島に渡っているのです。


張:見えなくても渡っているということは、目視以外の方法で到達したことになりますね。


海部:そういうことになりますね。それが何かはまだ不明ですが、例えばオーストラリアの原野に行くと、四方ほとんど同じような景色が続いているなか、現地の人は大昔から道に迷わずにそこで暮らしています。つまり、陸上でも何らかのナビゲーションをしているんでしょうね。彼らは大自然の中で暮らしいているので、自然をフル活用する術を知っているんでしょう。僕らは、必要なくなってしまったので、それを知らないだけかもしれません。


張:日本でも、地図が整備されるのは近代になってからですしね。


海部:プロジェクトで出会った年配の船乗りたちに言わせると、「昔は星とコンパスだけでミクロネシアまで行ったものだよ」と。面白いですよね。


2019年6~7月に台湾から与那国島への実験航海をめざし準備している

写真提供:国立科学博物館 「3万年前の航海 徹底再現プロジェクト」


「原始人」のイメージを覆したい



張:先ほど、私たちは祖先の姿を誤解しているのではないかというお話がありましたが、具体的には?


海部:3万年前の人類や石器時代の人々というと、多くの人はたぶん「原始人」のイメージをお持ちなのではないでしょうか。漫画のギャートルズみたいに、毛皮をまとってマンモスを追いかけているような(笑)。でもヨーロッパのクロマニョン人(※)は、すごく精緻な壁画を残しているし、高度な彫刻も残している。本当はすごい芸術センスをもった人たちだったんです。

そう考えると、僕らはバイアスがかかった世界しか見ていなかったとも言えます。そのことに気づいたときに、いままで研究してきた、遺物からわかるものとは全然違う景色が見えてきたのです。長い間、自分たちは誤解していたのであって、実際はこれまでの原始人のイメージとは全然違うのではないか。そこに何か新鮮なものを感じたのです。


張:そう言われると、原始人を少しバカにしていたような…。


海部:人の見方というのは変わりますよね。僕は、いろいろな国に行っていろいろな人と出会って、そして祖先たちの真の姿と出会いたいと思って研究を続けていますが、単純に持ち物が乏しいから上か下かという世界ではないということに気づかされました。これは、若い頃には持っていなかった感覚ですね。

そして大事なことのひとつは、祖先たちは常に新しい発明をしてチャレンジしていたということ。もう一方で、そうはいっても石器のように原始的な道具や技術しかない世界。それでもここまでやってしまう。そういう生身の人間のもつ、ものすごいエネルギーというか力というものを感じたのです。


張:だんだん研究に取り組む姿勢が変わってきたということですが、そもそも先生が人類の起源や化石に興味を持たれるきっかけは何だったのでしょうか。


海部:天文学を研究していた父親の影響で、自然科学に興味があったのですが、父親と同じでは面白くない(笑)。父がやっていない分野で何が面白いかを考えたときに、人類の進化というところに行きついたのです。


張:おいくつくらいの頃だったのですか。


海部:中学生くらいの頃には、何となく決めていましたね。人類の進化の研究ということに関して、ぼんやりとしたイメージはありましたよ。その後、本格的に意識しだしたのは、アジアというフィールドです。人類進化の研究というと、当時は人類の起源であるアフリカが主流でした。だけど僕自身アジア人だし、アジアで何が起こったかを知る必要があるだろうと。ヨーロッパのクロマニョン人と同じ時代にアジアにどんな人類がいたのかについて、明確な答えはない。アジアに暮らしているのにアジアのことを何も知らない。これでいいのだろうかと。ここを研究して、情報発信をして、共有すべき材料を提供しないといけないと考えたのです。


張:そうやって研究を続けてこられて、アフリカで発生した現生人類が、アジアまでどうやってたどり着いたのかについて、どこまでわかっているのでしょうか。


海部:アジアのジャワ原人や北京原人(※)は、現生人類の前の人類であって、僕たちの直接の祖先ではないということがわかっています。全世界の現代人はアフリカに共通祖先を持っており、大拡散した後に多様化し現在に至っています。現代人は、約10万年前という比較的近いところで、すべての人がつながっているのです。


張:ひとつのルーツから、世界各地でここまで多様化して現代社会ができているのも不思議ですよね。


海部:いまの時代がなぜ多様なのかということを知りたかったら、過去に遡ればいいんです。「多様だ」「違う」ということばかりに目がいきがちですが、時間を遡っていくとそうでもないということがわかります。未踏の地にどんどん出ていった頃のことを掘り起こしていくと、いろいろなことがわかってきます。


※クロマニョン人:4万5000~1万5000年前頃の欧州にいたホモ・サピエンスの通称。最初の化石人骨はフランスのクロマニョン岩陰で1868年に発見された。

※ジャワ原人:インドネシアのジャワ島で化石骨が出土している原人のこと。生存年代は約 120万~5万年前とされる。

※北京原人:中国北京郊外の周口店の石灰岩洞窟から発見された化石人類。75万~40万年前の生息と推定される。


3万年前の人たちの時間感覚



張:きょうのテーマは時間デザインですが、3万年前の祖先たちの時間感覚は、どうだったとお考えでしょうか。


海部:プロジェクトにご協力いただいている冒険家の関野吉晴さんもおっしゃっていますが、時間の感覚は現代人とは絶対に違うだろうと。もっとゆっくり流れていて、厳密なスケジュールは決めない。きょうダメだったら、明日やればいい。そういう時間感覚だったと想像しますね。狩猟採集民の研究を参照していると、そういう話が出てきます。


張:現代人は、スケジュールを決めたくなくても社会が許してくれませんね(笑)。でも、できなくても次やればいいみたいな、そういう感覚は忘れたくないですよね。それがチャレンジ精神につながりますから。


海部:「決めない」というのが、彼らの時間デザインなんでしょう。僕はせっかちで年中忙しくしていますが、そういう生活に慣れているし、そっちのほうが好きだから、狩猟採集民にはなれないでしょうね(笑)。


張:いつも時間が足りない先生が、ご自身で実践されていることはありますか。


海部:まず、優先事項をどうするかを考えますね。そして、テレビを見ないとか、一部のしたいことをあきらめます。でも、研究ってムダもたくさんあるんですよ。時間をかけてデータをとって考えても、結局それが役に立たないとわかるときがある。そういうときは、どんなに時間をかけて積み上げてきたものでも、思い切って捨てる、そしてすぐに次に取り掛かる。そういうことを意識していますね。気持ちを素早く切り替えないと、さらにムダになってしまいますから。


張:ご自身で集中できる時間を確保するための工夫などはしているのでしょうか。


海部:独りでやろうとすると、結局ムダになることが多いです。僕は遠慮なく人に聞くタイプなので、わからないことがあったらすぐに知っている人を探して、聞きますね。その人にとっては迷惑かもしれないけれど(笑)。


張:自分であれこれ考えて時間をムダにするよりは、詳しい人に聞いたほうが早いと。


海部:研究者はだいたい、面白いと思ったら食いついてきますよ。例えば、僕は人類学が専門ですが、プロジェクトでは海流にすごく注目しています。人類学と海流の研究は、まったく分野が違いますが、一方の海流の研究者は、石器時代の人たちがどうやって海を渡ったのかということに非常に興味を持ってくれています。僕がいま楽しみにしているのは、スーパーコンピューターを使った黒潮のシミュレーションです。天気予報と同じように、モデルにしてコンピューター上に海流の動きを地図のように可視化するのですが、一流の専門家の先生たちが、今、3万年前の海流復元にチャレンジしてくれています。お願いに行ったら、快く「やりましょう」と言ってくれました。


張:プロジェクトで行った問題提起が、また新しい研究を生み出しているというわけですね。研究が研究の輪を生んでいると。


海部:ほかにも、本当に丸木舟を使っていたのかについてもまだ検証の余地があると考えています。昔の石器で木を切り倒せる、舟に加工できるというところまでは証明できた。ただ当時、本当にこの石器で舟をつくっていたのかとなると、話は別です。それを研究するためのプロジェクトも別に走り出しました。具体的には、石器を使うと刃の部分に微小な傷が刻まれますが、高性能の顕微鏡を使って、そのパターンを実験で使用したものと出土したものとで比べるといった研究です。


張:そしていよいよ2019年は、6~7月に実験航海を行うということですが、それに向けていま、どんなことをされているのでしょうか。


海部:現実的な課題になりますが、国境を越えるための手続きや安全管理などの作業をしています。それらが全部整わないと、法律違反ですし、ただの無茶な冒険になってしまうので(笑)。


張:たしかに、手続きや安全管理は大切ですね。そのほかはいかがでしょうか。


海部:あとは、しっかりと練習を積むことですね。今度は丸木舟を使いますけれども、僕らはまだ丸木舟に関しては素人です。漕ぎ手は熟練のプロですが、さすがに丸木舟は漕いだことがない。普段扱っているものと違いますから、これにまず慣れることです。それから、台湾の海は僕らにとってはアウェイですから、海のことをよく研究しなくてはなりません。


張:新しい研究成果を我々も楽しみに待っております。なによりもご無事で、航海の成功をお祈りしています。きょうはありがとうございました。




拝啓 あの日の自分 


「何となく」生きていた高校時代の自分へ


いまでこそ目標やビジョンが明確だけれども、高校時代は「何となく」生きていたかもしれない。もうちょっといろいろな冒険をしてみてもよかったかな。社会に出て、いろいろな場所に行って、いろいろな人と出会って、はじめて自分の研究の可能性に気づくことができた。それをもっと早く、高校生のときからやっていればよかった。 あの頃の自分に声をかけるならば、「もっと視野を広くもてよと」と。いろいろな世界を見て経験したほうが、強くなれるよと。でも、いまになって後悔しても時間の無駄だから、スパッと忘れるけどね(笑)。



※この記事は【時間デザイン研究所】に掲載されていた記事を転載しています。内容は掲載当時のものです。

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