【株式会社にんべん 社長 髙津克幸さん】伝統と変革で和食を支える。 江戸時代から続く老舗の時間デザイン

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2019年で創業320年を迎えるにんべん。代々店を構えてきた日本橋で変わらぬ伝統を引き継ぎながら、13代にあたる現社長の髙津克幸氏は、引きたてのだしを味わえるスタンディングバー「日本橋だし場」や、異業種の老舗企業とのコラボレーションなど、果敢に挑戦を続ける。鰹節屋から、和食に欠かせないだしのリーディングカンパニーへと、変革を求める企業の取り組みや、今後の展望とは。


髙津 克幸(たかつ・かつゆき)

株式会社にんべん 代表取締役社長 1970年、東京都生まれ。1993年、青山学院大学経営学部卒業、横浜高島屋(現高島屋横浜店)入社、1996年にんべん入社。商品部や営業部、副社長などを歴任し、2009年、社長に就任。現在に至る。


聞き手:日本能率協会マネジメントセンター 代表取締役会長 長谷川隆


過去から受け継いだバトンを未来へ



長谷川:先日、御社が取り上げられたテレビ番組を拝見しましたが、非常に興味深い内容でした。


髙 津:江戸時代の街並みを再現したCGがとても印象的でしたね。私も取材を受けたのですが、どういう仕上がりになるのか、実は放送を見るまでわからなかったんです。細かな史実の検証は、歴史家の先生たちのご尽力のおかげですね。


長谷川:開業当時の史料があれだけ残っていることに驚きました。武家ではけっこう残るもののようですが。


髙 津:商家で残っているのは、珍しいようですね。


長谷川:創業者の初代、髙津伊兵衛氏は伊勢国(三重県)から出てこられたんですね。近江商人もそうですが、関西の方は商売上手だなと改めて感じました。でも、ここまで代を重ねると、もう生粋の江戸っ子ですね。お店の場所は創業時から変わらずですか。


髙 津:最初は日本橋1丁目で商いを始め、1720年に現在の室町2丁目に小売りの店を出しました。日本橋本店は今もそこにあります。


長谷川:お店が300年以上も続くというのは並大抵のことではないと思いますが、そのことについてはどのように感じていらっしゃいますか。


髙 津:「伝統を守らねば」というプレッシャーは、実はあまり感じてないんです。とにかく今できることをやって、次の時代にバトンを渡す、という気持ちの方が強いですね。ただ、店の歴史について聞かれる機会は多いので、その都度、過去から学び、現在を見直してみて、未来へつなげていくというスタンスでやっています。


長谷川:代々受け継がれてきた家訓や、商いで守るべきことは何かありますか。


髙 津:先祖が記した行事食の一部は今でも実家で続けています。特に年末年始、大晦日から始まって、元旦のお雑煮や、三が日に食べるお節、七草がゆ、鏡開き、小正月といった具合です。


長谷川:まさに、日本人が続けてきた伝統ですね。日本橋というのは、貴社にとってどういう場所でしょうか。


髙 津:日本橋は、水運が発達していた江戸時代から商業の中心ですよね。それに歌舞伎小屋なんかもあって、文化の中心でもあります。

現在弊社は日本橋だけでなく全国に事業所があるので、日常的に日本橋に関わっていない社員も多いですし、私自身も別の会社に勤めていたり、にんべんでも日本橋以外の事業所で働いたりしていた時期があります。

それでも、こうやって日本橋で働くようになると、やはりここを拠点としていかなければと感じるようになりました。弊社は日本橋の街と一体となって育ってきましたから、その恩返しの意味でも、この街の価値をより高めていきたいと思ったんです。そのこともあって、COREDO室町ができた2010年当時、室町2丁目の町会長も務めさせていただきました。


長谷川:老舗の多いところなので、ちょっと気難しい方もいらっしゃったのでは(笑)


髙 津:いえいえ、大丈夫です(笑)。当時の私の年齢だとおじいさんと孫のような関係ですので、街の歴史を教えていただくなど、皆さんに可愛がっていただきました。


長谷川:時代は変わってもご縁というか、人とのつながりこそがやはり商売の基本なんですね。


伝統を活かし、異分野にも挑戦



長谷川:先日拝見した番組では厳しい時代を何度も乗り越えてきたと紹介されていましたが、最近になってからも変革を迫られたことはありましたか。


髙 津:私の父の代ですが、削り節を密封した「フレッシュパック」という商品を出すまでは、鰹節産業自体が非常に厳しかったと聞いています。鰹節を削る手間が忌避され、食文化の欧米化などもあって、鰹節自体がなくなってしまうのではとも言われていたようです。そんな中、削りたてのかつお節を使いきりで、味と香りを保持できる「フレッシュパック」が開発され、鰹節業界の再生につながる商品にまで成長しました。今から50年ほど前のことです。


長谷川:いまでは、袋を開ければ新鮮な鰹節が食べられることが当たり前ですが、そこに行きつくまでにはご苦労があったんですね。今後さらに拡大を狙っている分野はありますか。


髙 津:フレッシュパックで鰹節が手軽に料理に使えるようになり、家庭の食卓にも浸透しました。ただ、それでも全体の需要は減ってきており、このままでは厳しいのが現実です。今後は、鰹節やだしの良さをより身近に感じていただける商品や、惣菜・料理関連の商品の強化も考えています。


長谷川:鰹節の場合、業務用と一般市場の割合はいかがですか。


髙 津:当社の商品はもともと家庭用や進物用が主で、業務用は5%程度なので、これを伸ばしていくことにも注力しています。また、和食の世界的な広がりを受けて、海外に向けても積極的に営業をかけています。


長谷川:たしかに、いまは世界中で和食ブームですよね。和食のベースとなるだしの分野でも、お客様にだしを飲ませる「日本橋 だし場」や、だし料理を味わえる飲食店「日本橋 だし場 はなれ」など、積極的に展開されています。


髙 津:だしをテイスティングできる場があったら、という声は、実は以前から多くいただいていました。「日本橋だし場」は、もともと仮店舗の予定でしたが、いろんな学びや体験を通じて、より多くの人にだしの魅力を知っていただきたいというコンセプトでオープンしました。我々は鰹節屋で、基本的には削り節とめんつゆの素の2つの事業が主体ですが、「だし」に関する商品の品ぞろえを強化し、事業領域を広げることで、企業イメージも「だしのにんべん」へと膨らんできたのではないかと思っています。


長谷川:若い方の間でもだしの価値が見直されていますよね。


髙 津:幅広い層にだしの良さを知っていただくため、「だしアンバサダー」を200名ほど育成し、さまざまな取り組みをしています。消費の最大のボリュームゾーンは「簡便志向」ですが、鰹節そのものを削ったり、だしを引いたりという「本物志向」もなくさずに伝えていきたいと考えています。


長谷川:伝統を大切にすることと、新しいことに挑戦することを車の両輪のようにして進んでいく姿勢も、きっと、代々受け継がれてきたものなんでしょうね。


プライベートの時間デザイン



長谷川:髙津社長ご自身についてのお話も少し伺いたいと思います。幼いころから跡継ぎとして期待されてきたと思いますが、これまでの人生の中でターニングポイントとなったような出来事はありますか。


髙 津:やはり継ぐことを決めたときでしょうか。高校3年生のときに、父から「どうするのか」と聞かれたんです。そのときは明確にやりたいこともなかったので、「継ぎます」と答えましたが、今から思えば少し安易だったかもしれません。


長谷川:そこで決断を迫られたんですね。継がないという選択肢もあったんでしょうか。


髙 津:家を出て料理人になりたいと思った時期もありました。いま、和食や惣菜の分野に進出しているのは、その当時の思いがあるからかもしれません。


長谷川:幼い頃はどのような環境で育ちましたか。


髙 津:私の育った実家は職場とは別のところにありましたが、少し前の代まではお店の奥で生活していたらしいんです。いわゆる職住一体ですね。私が小さかったときの実家には、その雰囲気がまだかなり残っていました。毎日のように生産者や社員の方、取引先の方々が来て、一緒にごはんを食べたり、話をしたりと。ですから、父がどんな仕事をして、どういう話をしているのかは、ずっと見聞きして育ちました。


長谷川:先代のお父様から学ばれたのはどんなことでしょうか。


髙 津:父は周囲から「実直」と評され、とても寡黙な人でしたが、私がにんべんに入社したばかりの頃に「とにかく一流のものを見て目を養いなさい」と言われたのが印象に残っています。良いものがわかれば、物事の本質が見えてくると。


長谷川:その教えが、いまのお仕事にも生かされているわけですね。日々お忙しいと思いますが、ご自身の時間の使い方についてはどのように考えておられますか。


髙 津:四六時中、仕事とプライベートが混ざっている状態なので、その境界についてはたまに考えることがあります。仕事じゃないときに考えたことも、仕事に通じることもありますから。あとは、なるべく「ワクワクすること」を考えます。あそこの店にうちの商品が並んだらって想像すると、ワクワクしてやる気が出るんです。それを実現するために、そのお店の方とのご縁を探していくようなことがすごく好きです。


長谷川:実現したときの楽しさをイメージすることが、モチベーションにつながっているわけですね。


髙 津:とにかく自分で動いて、つくりあげるのが好きなんだと思います。私は趣味でトライアスロンをしているのですが、それもどこか通じるところがありますね。水泳、自転車、マラソンという3つの競技を積み上げて、タイムを想定しながら練習していくと、ちゃんと結果にも表れる。ただ、実際にやってるときは何でこんなつらいことをしなければならないんだと、毎回思いますが(笑)。


長谷川:トライアスロンですか、それはすごいですね!


髙 津:他にも、冬はスキーをしています。スキーは7歳から始めて、タイムを計るアルペン競技を今も続けています。元々はスキーでいいタイムを出すために、夏にトライアスロンで身体づくりを始めたんです。


長谷川:プライベートでも、「タイム」がキーワードですね。


髙 津:ただ、時間にルーズな一面があることも自覚しています。やりたいことを詰め込み過ぎる傾向があるからかもしれません。


長谷川:やりたいことは全部やりたくなってしまうと。


髙 津:やりたいことは、ぎゅうぎゅうに詰め込んで、無理にでも実行しようとしますね。仕事に加えて、スキーやトライアスロンの練習時間も確保しようしたりとか。ただ、今は、社内のグループウェアで自分のスケジュールが公開されているので、社員に容赦なく予定を入れられてしまいます(笑)。


長谷川:リラックスタイムはありますか。


髙 津:スキーをしてるときがまさにリラックスタイムです。白銀の世界を見渡し、全身で風を切って滑り降りているときには、さすがに仕事のことは考えませんね。でもリフトに乗っていると、手すりのバーに広告を出したらどうかな、なんてつい考えちゃいますが(笑)。


長谷川:そんなところにも、御社に受け継がれてきた「DNA」が関係してるのかもしれませんね(笑)。今日は貴重なお話をありがとうございました。




拝啓 あの日の自分 


身体が小さくてからかわれていた、小中学校時代の自分へ


小さいときは小柄でガリガリだった。そのせいか、いじめっ子によくからかわれた。「おーい、いへー!」と、代々継ぐ名前を笑われることが、たまらなくイヤだった。

でも、大人になってみると、それがどれだけ狭い世界での出来事なのかがわかった。世界はもっと、とてつもなく広いんだ。

大人になったら、アルペンスキーも、トライアスロンもできるぞ。身体も、心も、自分の好きなように鍛えられるんだ。

イヤなことは、堂々と、イヤと言えばいい。言いたいことをはっきり伝えて、相手と渡り合ってみようぜ。

将来社長になるんだから、それくらいはなんでもないよ。



※この記事は【時間デザイン研究所】に掲載されていた記事を転載しています。内容は掲載当時のものです。

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