今まで何となく手帳に書いてきた毎日だった。

いつの間にかこだわりはじめていた。

紙に対する意識は「最低限度書ければいい」と思っていた。

同じように筆記具に対しても「自分の書いた字が分かり書けること」しか意識していなかった。

しかし、書くことを意識化しはじめたとき、ただ闇雲に紙に書く行動はもしかしたら人生の質と同じくらい影響があるのかもしれないと思いはじめた。

心地よい筆記具、心地よい紙質ではじめて紙に書いたときの快感は私に「書くこと」を好きにさせてくれた時間だった。

そして自ら改めて「書く」という行為は私自身の心ではなく、もっとより奥深い所へいくのだと感じた。単純に「紙にかければよい」という価値観から「私が心地よく書きたい」と変化していった。

そして、そのために再度私の書いてる時の「癖」を知った。

私の「癖」は筆圧が強い。A5用紙1枚書くだけで中指の関節が凹む。それは書く用量にも比例するのだが。だからといって水性ボールペンとは相性が合わない。

私は文房具とマッチングアプリしてるのか?と錯覚した。

定期的に手帳に関しても「今」「未来」「過去」と分けてみて私なりのフィードバックをした。

今までの活用から未来はどうするか、少し先の未来(明日)できることはなにか。

しかしまた今なぜ私はそこまで「書くこと」にこだわってしまったのだろうか。

「そもそも書くことが好きだったのか?」と問うたがわからなかったししっくり来ない解答。

「モノを大切に扱いたかったのか?」とまた問うたがそれもしっくり来なかった。

実は「時間〈とき〉ラボ」に新規登録した時、私は夫とも付き合ってはいたが、まさか結婚するとは思っていなかったし、人生崖っぷちだったように思う。

何をもって崖っぷちだと思うかは人それぞれだと思うが。ただ当時の体感としては「崖っぷち」だった。幸せとか不幸せとか考えて漠然と生きていた。頭の中で曖昧なことを悶々と考えては落ち込みたまに嬉しいことがあれば脳内で喜ぶ毎日だった。

真っ白なノルティにしっかり向き合おうなどという考えは一切なかった。しかし、私はあの時ノルティを何気なく購入した。人生変わりたいという思考ではなく、ただ買った。

なぜだろうか、人生とは摩訶不思議なものだ。

あれよあれよという間に「入籍」→「結婚式」→「夫と家族」→「妊娠」→「妊娠5ヶ月」まできてしまった。

いま思えば「あっ!」でしかない。

何なのだろう?と感慨にふける間もなくみるみるお腹はでかくなる。きっと私が感慨にふけりだしたら人生を終わると誰かが察したのだろうか。1日くらいの振り返りは許すがそれ以降はダメ!と命ぜられたのだろうか。

ただ1つだけかたくなに守ってきたことがあるとするならば「喜びに浮かれないこと」だった。

人生には想像もしない「まさか!」がある。

だからこそ「喜ばしいこと」時ほど心に帯をしていたなら、ぎゅうと引き締めてきた。

そして、たまに手帳をひらき、過去の日記の誤字直しをしている…といったって数ヶ月前。

半年前なんてウィークリーはほぼ白紙で「Why?(厚切りジェイソン風)」とかしか書いてない。なんなんだ!ともう過去の自分に笑うしかない。

今日もまた「なんなんだ!」と感じつつ、12月に産まれる予定の赤ちゃんと夫と私と手帳を片手に生きようと思う。

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この『なんなんだ!』

を手帳や日記に書いておくと、いつかその答えがわかる日がきたりするのかもしれませんね☺️

未来のことを書くことも役にたつし、過去のことを見返すのも大切です✨

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2023.07.12