【宇宙物理学者 藤澤健太さん】天体が教えてくれる時間

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暦や時間は、天体の運行や自然現象を究明した科学であるとともに、私たちの社会や生活に根差した文化や概念としての側面も併せ持つ。切り口によってさまざまな様相を見せる暦や時間をどう理解し、向き合うべきか。宇宙物理学者の藤澤健太先生に聞いた。


藤澤 健太(ふじさわ・けんた)

山口大学時間学研究所教授/所長。

2010年4月から現職。専門は、電波天文学、特にVLBIを使った観測的研究。


聞き手:日本能率協会マネジメントセンター 専務取締役 張士洛


天体が教えてくれる時間



張:私たちは時間を一様に流れるものではなく、さまざまな要因によって伸び縮みする「とき」と捉えることで、主体的にデザインできないだろうかと考えています。藤澤先生は宇宙物理学がご専門でいらっしゃいますが、時間や暦というものについてどのようにお考えですか。


藤澤:時間をあえて「とき」と読むというのは、たいへん興味深いですね。実は、万葉集の時代には、「と」と「つ」がほぼ同じ発音だったという説があり、当時は「時」と「つき」は同じ発音だったようなのです。もしそれが本当だとすると、当時の人々にとって「時」と「月」はおなじものだったのかもしれません。


張:そう言われてみると、明治時代になるまで使われていた旧暦、つまり太陰暦は、月の満ち欠けによって決まる暦ですね。中国をはじめとした東アジアの国々では、今でも旧暦の正月を祝う風習が残っていますが、明治維新で現在のグレゴリオ暦に切り替えてしまった日本では、太陰暦へのなじみがどんどんなくなっています。


藤澤:現代の日本では、月のことを考えて生活することはあまりないですよね。今日が満月なのか、新月なのかを気にしてる人はほとんどいないでしょう。でも昔の人は月をとても大切にしていました。その理由として、単純に夜が暗かったということがあります。現代では生活するうえで、月夜のありがたみを感じることはありませんが、街灯のない時代に月が出ているのと出ていないのとでは生死を分けるくらいの違いがあったはずです。

昔は月を大切にしていた日本人ですが、技術の進化にともなって少しずつその重要性が薄れていってしまった。その過程で、伝統や文化の面でも忘れ物をしているように思うことがあります。

月の暦である太陰暦を使わなくなったことで、私たちは自然と結びついた時間というものを見失ってしまったのではないでしょうか。



張:太陰暦とともに、不定時法が採用されていた時代は、季節によって1時間の長さも異なっていました。それが、効率や経済合理性を求めていく過程で、夏も冬も1時間の長さを同じとする現在の定時法にシフトしていったのでしょうか。


藤澤:おっしゃる通りだと思います。西洋で生まれたグレゴリオ暦を取り入れるのは、日本が近代化を果たしていく上で必要だったとは思いますが、それによって日本文化のある部分は確実に失われてしまったと思います。

暦というのは、文化や文明の一部分であって、それだけを簡単には切り離せるものではありません。たとえば、織姫と彦星が出会う七夕も本来は旧暦の7月7日なので、グレゴリオ暦より1カ月ほど遅いんです。新暦の7月7日は梅雨の真っ最中ですから、二人が出会えないのも当然ですよね(笑)。

ですから、中国が今でも旧暦のお正月を盛大にお祝いしているのを見ていると、うらやましさを覚えます。同じく太陰暦を採用しているイスラム暦では、ちょうどいまラマダン(断食月:2018年は、5/16~6/14がラマダンの期間にあたる)に入ったところなんですよ。イスラム教徒の方はラマダンによって連帯感が強まると聞いたことがあります。


張:日本以外の東アジアの人たちは、グレゴリオ暦と太陰暦を上手に使い分けていますよね。


藤澤:そうなんです。別にどちらか一方だけにしなくても、そういう二重性があっても一向にかまわないはずなんです。イスラム教徒の人たちだってビジネスでは西暦を使っていますし、日本人だって西暦と元号は併用しているんですから。


張:月の満ち欠けに合わせて自分たちの暮らし方を決める太陰暦は、人間を自然の一部と考える東洋の思想からするととても自然に感じられます。


藤澤:そして、人間だけがこの地球に生きているのではなく、他の生物とともに自然のなかで生かされているんだということを感じさせてくれるきっかけにもなりますよね。最近では国立天文台が太陰暦の七夕を「伝統的七夕」として毎年告知していますが、とても面白い試みだと思います。


張:太陰暦の大切さはよく分かりましたが、いま私たちが使っている「グレゴリオ暦」とはどういうものなのでしょうか。


藤澤:グレゴリオ暦は16世紀に成立した暦ですが、正確性という点では実によくできていて、天体の運動と3000年でわずか一日しかずれません。暦の正確性のポイントとなるのは、自然界の現象と暦のイベントが一致するかどうかなんです。たとえば1月1日という日の自然現象が、100年前も今年も100年後も大体同じであれば、それは良い暦だということができます。これがずれてくると、お正月なのに気温が30度もあったり、8月なのに雪が降ったりということになりかねません。


張:3000年で一日しかずれないなら、8月にコートを着る必要はなさそうですね。


藤澤:ただ、いくつか気になる点もあります。たとえば365日を一週間の7日で割ると1日余ってしまいますよね。すると今年の1月1日は月曜日だったのに、来年は火曜日になる。考えてみるとこれは、不便といえば不便です。また、2月だけがなぜか28日までしかなく、閏年にはそこに1日足されるという仕組みもあまり合理的とはいえません。


張:ひと月の長さが28日だったり、30日だったり、31日だったりするのは、ビジネスの面から見ても不便ですよね。ひと月の日数が違えば売上目標も変わって当然なのですが(笑)。


藤澤:そういうところを修正するために、20世紀の半ばに新しく「世界暦」をつくろうという取り組みがありました。そこではいまお話した週や月の日数の問題をある程度クリアした暦を案出したグループがいて、国際的に広く議論されたのですが、結局採用には至りませんでした。


概念としての時間



張:「時間」の役割というものを改めて考えてみたいのですが、もしも時間がなかったら、この社会はどうなってしまうでしょうか。


藤澤:そういう思考実験はとても重要ですよね。現代の我々が使っている時間は、先ほどの暦と同じように、それ自体がこの社会の一部分を形成しています。ですから、切り離して考えることは難しいですね。もしそれができるとしたら、我々とは異なる概念の時間を持っている文明、あるいは社会を探すしかないと思います。


張:我々の社会とは異なる概念の時間……。


藤澤:これは文化人類学の有名な事例ですが、アフリカのナイル川沿いに住んでいるヌアー族という人たちがいます。彼らは、牛を社会の中心に置いていて、牛を放牧に連れていく、牛を放牧から連れて帰るといった行為を時間の照合点としているのです。いうなれば「牛時間」ですね。 彼らの時間は、我々が考えるような過去から未来へと一直線に伸びている時間とは違い、断片的なシーンの繰り返しによって構成されていると思われますが、彼らはそれでまったく不自由していないわけです。こういう暮らしがあることを知ったうえで、あらためて私たちの社会に目を向けてみると、たとえば電車の時刻表ひとつとっても、この社会がいかに「正確な時間」というものを基礎としてつくられているかに気づかされます。


張:社会が時間によってつくられている。


藤澤:逆に言うと、我々がここまで便利な社会をつくって生活できるようになったのは、きっちりと定められた時間の公益性や有用性を認めたからこそといえます。そのことが我々を苦しめる局面もありますが、正確な時間の有用性は認めざるを得ません。ただ、それが絶対ではなく、「牛時間」のような、まったく異なる時間もあるということを知っておくのは大切なことだと思います。


張:現代における世界の時間というのはどのように決まっているのですか。


藤澤:いま我々が使っている時間は、原子の周波数によって測定される「原子時計」によって決まっています。面白いのは、基準となる一台の「マスター原子時計」があるのではなく、イギリス、フランス、アメリカ、日本…等々、世界中の原子時計が刻む時間を比較し、その平均値をとるようにして世界の標準時を決めているんです。いわば多数決で決めているんですよ。


張:原子時計の時間と天体の運動が少しずつずれるので、補正しているという話を聞いたことがあります。


藤澤:閏(うるう)秒ですね。私たちが日常で使う時間はもともと地球が1回転する「1日」を基準にしてつくられたものですが、原子時計が発達して精度が高まると、地球の自転のスピードがいつも同じではないということがわかってきました。つまり、ときによって1日が少し長かったり、短かったりするのです。これを放っておくと、天体の動きと時間がどんどんずれてくるので、原子時計の時間を1秒補正しましょうというのが閏秒です。

ところがこれが、ビジネス界では非常に不評でして…。世界の時間をずらすわけですから、放送や通信をはじめとして、いろいろなところに歪みをもたらすんです。いまは株もコンマ何秒の世界で取引していますから、1秒のズレは一大事です。


張:たかが1秒とは言っていられないわけですね。


藤澤:閏秒をやめるべきだという意見もあり、それを決める国際団体ですったもんだの議論が続いていますが、今のところは続くことになっています。


科学が明らかにした時間



張:アインシュタインの相対性理論によると、高速で運動する物体の時間はゆっくりと進むそうですね。


藤澤:おっしゃるとおりです。でもそれはあくまで止まっているものと比べたときの話であって、仮に光速に近い速度で飛行する宇宙船があったとしても、その中にいる人にとっては時間の流れ方が変わるわけではありません。相対性理論が明らかにしたのは、時間の流れ方というのは相対的なものであり、ニュートンのいう運動とは無関係な「絶対時間」は存在しないということです。


張:運動によって時間や空間のあり方が変わるということですね。


藤澤:この考えはとても抽象的で、なかなか理解しにくいのですが、相対性理論によって予言された現象が観測や実験によって次々と証明されています。たとえばでいうと、原子時計を飛行機にのせて高速で運んだら、地上のものより確かに遅れたという実験結果があります。


張:その理論を使えば、超高速で運動すれば未来に行けるわけですね。


藤澤:その通りです。たとえば、高速の宇宙船に乗ってずっと遠くまで行ってから戻ってくると、宇宙船の中では地上よりも時間がゆっくり進むので、中にいる人は未来へ行ったことになるといえます。また、非常に重力の強い星の近くでしばらく暮らした後に戻ってくると、やはり時間の進み方が遅くなるので同じことが起こる。まさに浦島太郎の世界です。


張:反対に、時間を逆行して過去に行くことはどうでしょうか。


藤澤:現時点での実現性は極めて低いですが、可能性はゼロではありません。タイムマシンの話は物理学者も大好きで、時間を遡る理論は有名な「ワームホール」を使うものも含めて、いくつか提唱されています。

最近、ロナルド・マレットというアメリカの物理学者が書いた本を読んだのですが、この人は、子どもの頃に亡くなったお父さんに会うために、物理学者になってタイムマシンの研究をしているんです。正真正銘の物理学者が書いた本なので当然ちゃんとした理論になっていて、彼は今その理論で実験している最中なのだそうです。


張:それは夢のあるお話ですね。



張:先生は、日本時間学会の役員でもいらっしゃいますが、学会として今後、世の中にどのようなことを発信していきたいとお考えでしょうか。


藤澤:いまお話したように、時間には物理学的、生物学的、社会的といった、実にさまざまな側面があります。時間の持つそうしたさまざまな様相を、なんらかの形で体系化することができたらと思っています。そのことによって、これまでの時間の感覚や思考のプロセスから自由になれるのではないかと。ただ、学会として社会との接点をどうつくっていくかについては、まだ具体的な議論ができていないのが正直なところですね。


張:先ほどお話された、国立天文台の「伝統的七夕」のイベントはひとつのヒントになるのではないでしょうか。夏至や冬至といった二十四節気をテーマにすれば、それだけでも24回イベントができますね。


藤澤:効率ばかりが重視される現代社会において、昔ながらの時間感覚に触れる機会はたしかに重要だと思います。


張:時間学会と時間デザインが連携して、何かできるといいですね。本日はありがとうございました。



※この記事は【時間デザイン研究所】に掲載されていた記事を転載しています。内容は掲載当時のものです。

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時間は人(社会)に合わせるか、自分の生活(牛時間)に合わせるか、自然(太陰暦)に合わせるか。リタイアしたら何を標準にしようか?


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2025.02.18