【小説家 辻村深月さん】読書が「鏡の世界」だった10代の自分。 教室小説を書くことで、時間をさかのぼって 大切な忘れ物を取りにいく

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中学校に行かず、鏡の城に通う7人の冒険を描いた『かがみの孤城』は、子ども、大人問わず高く支持されている作品だ。10代を多く描いてきた作家、辻村深月さんの作家人生にはどんな時間が流れていたのか。子どもと大人への深い洞察から生まれる物語の世界観を聞いた。


辻村 深月(つじむら・みづき)

山梨県笛吹市出身。千葉大学教育学部卒。2004年「冷たい校舎の時は止まる」でメフィスト賞を受賞してデビュー。2011年『ツナグ』で吉川英治文学新人賞、同作は2012年に映画化。2012年『鍵のない夢を見る』で直木賞を受賞。幼少期から藤子・F・不二雄作品のファンで、『凍りのくじら』では各章がドラえもんのひみつ道具の名前に。ほかに『ゼロ、ハチ、ゼロ、ナナ。』『本日は大安なり』『オーダーメイド殺人クラブ』『朝が来る』など著作多数。ドラマ化、漫画化された作品も多い。


聞き手:日本能率協会マネジメントセンター 専務取締役 張士洛


水から蜂蜜へ



張:いろんな連載に同時並行で取り組まれていると思いますが、執筆時間の確保やご家庭、子育てなど、日々の時間の使い方はいかがでしょうか。


辻村:それまで、さらさらと水のようだった時間の流れ方が、子どもが生まれてから、水が蜂蜜のような濃度で流れ、時の流れの速さがかつての自分とはまったく変わってしまいました。以前は一つの文章を書くのに半日かけても惜しくありませんでしたが、朝8時に子どもを保育園へ送り出してから、18時ごろにお迎えに行くまでにすべてをやらなきゃいけない。昔は「困ったら徹夜」という選択肢もありましたが、今は一つの文が気になっても「えいや」とそこで終わりにして、子どもの面倒を見ながら「あれでよかった」あるいは「やっぱり変えたいから朝イチでメールしよう」と思考を整理しています。

夜は、子どもと一緒に寝る21時ごろまでは、どれだけ気になっても仕事はせず、一緒に寝た後、私だけ4時か5時に早起きしています。そこから子どもが起きるまでの2~3時間は、私にとって何をしてもいい時間。仕事と関係のないミステリーを読んだり、録画しておいたドラマや映画を観たり。朝は今、一番好きな時間ですね。


張:お子さんが生まれて、時間の密度が良い意味で変わったということでしょうか。


辻村:メリハリがあるからこそ連載が持てるのかなと思います。長男は今年、小学校へ入学しました。保育園に通い出したころは、ストライキのようにごはんを食べなくなった時期もありましたが、そのうち「早く行きたい!」と自分で準備するようになりました。私が仕事をしている間、彼も彼なりに向き合う時間があるんだと。そして、彼が保育園で頑張ってくれている時間があるから小説を書けるんだと思えるようになりました。だから『かがみの孤城』のような十代の話を全力で書いていると、「お母さん、頑張ったよ」とすがすがしくお迎えに行けますね。でも、ドロドロした不倫の話を書いていたときは、清らかな子どもの笑顔と向き合うのが何か後ろめたい気持ちになることもありました(笑)。


張:職業柄、そういうこともあるんですね。メリハリをつけるという意味で、仕事をする場所や仕事の仕方などに何かマイルールはありますか。


辻村:書くのは断然自宅ですね。子どもが生まれる前は、気分転換にノートパソコンを持参してカフェで書いていたこともありますが、今は自宅で集中して書くことに勝る過ごし方がありません。外にいるとき、空き時間で短いものを書くときもありますが、外では割り切って、読書など仕事とは別の過ごし方をすることが多いです。

また、コーヒーがすごく好きで、最初に仕事に取りかかるときに飲むことにしています。早起きして映画を観るときには、飲みたくても我慢して、最初にパソコンに向き合うときに飲む習慣にしています。コーヒーがないと落ち着きません。


張:コーヒーで仕事のスイッチが入るのですね。ほかに、オン、オフの切り替えは?


辻村:お化粧をするかしないかでしょうか。外に出る仕事のときにはお化粧をするのですが、自宅で執筆するだけの日にはしません。化粧の時間も惜しく感じてしまうんですよね。保育園にお迎えに行くと、普段着で化粧もしていない私を見て、「この人はいったい何の仕事をしているんだろう」と思われているかも(笑)。お化粧して外に出ると、自分の中でモードがかなり変わるので、そこもメリハリになっています。


張:子育て、コーヒー、お化粧と、いろんな切り替えがあるんですね。一度書き始めると、かなり集中されるタイプですか。


辻村:どの場面を書いているかによりますね。最大で連載を8本抱えていたときには、1つの作品を書いた後、次の日にすぐ別の作品には入れませんでした。新しい世界に入ろうと思うと、最初の原稿1枚に1日以上かかることも。

集中してくると、多いときで1日に原稿用紙80枚くらい。『かがみの孤城』の後半はまさにそうでした。最大の見せ場となるクライマックスを書いているときには、子どもを保育園に送り出したあと、そのまますぐ机に向かって書いて、昼食もとらずに気づいたらもう17時にという具合です。でも、80枚書いても最後までたどりつけない。続きが書きたくて仕方なく、「これからあの子たちと孤城に行くのに、何でお迎えに…」と心残りになったのを覚えています。マラソンでいうランナーズハイのような、“ライターズハイ”の状態でしたね。初期の頃はよくありましたが、久しぶりにその感覚が戻ってきた作品でした。


作品を出すまで



張:作品を書きあげるには、どれくらいの時間をかけていますか。


辻村:振り返ると、1つの作品は1年ぐらい連載しています。それを同時並行で進めて、年に2~3冊、本が出ていますね。


張:すごいですね、でもそんな辻村先生でも書けないときもあるのですか。


辻村:前はスランプを感じることもありましたが、今は悩んでいる暇がなくなりました。とにかく書きます。まるでテニスのラリーをするように。新聞の連載は特にそうですね。自分の原稿を未完成の状態で世に出すことに恐れを感じていた時期もありましたが、今は本になって読者の手にたどり着くまで、なり振り構わず、いくらでも試行錯誤していいんだ、と思えるようになりました。

それでも集中できない、書きたいことが多すぎて整理できないときには、時を忘れて没頭できる映画鑑賞や読書をすることで、目先を変えるようにしています。


張:連載から書籍にする時では、内容もけっこう変わりますか。


辻村:けっこう手を入れます。書き始めるときにはほとんど内容を固めず、考えながら書き進めていくので、全体の原稿がそろって、はじめて全体像がわかります。それまでは作品を俯瞰して見ることがないので、作品で言いたいことが後から変わることもあります。本屋さんに作品が並んだあとは、書店員さんなど、いろんな方の感想を聞きながら、こんな作品だったんだと改めて理解することがよくありますね。


張:走りながら書き続けていく感じですね。


辻村:予め緻密な設計図を書いて執筆される作家さんもおられますが、私は自分自身が予想外の内容や方向に展開することが多いです。友人や夫からは「計画性がなさすぎじゃない!?」と言われることもありますが(笑)。どの話にもミステリーの要素を入れるので、特に仕掛けの伏線についてはギリギリまでいつも手を入れます。


張:これから書いてみたいテーマやジャンルはありますか。


辻村:『かがみの孤城』は10代の7人が集まる密室劇に近い設定でした。実はデビュー作『冷たい校舎の時は止まる』も10代の8人による密室劇です。『かがみの孤城』には作家の恩田陸さんが「新たなステージでのデビュー作」と帯に言葉を寄せてくださったんですが、そういうふうに読んでいただけたのは嬉しかったですね。

10代を描いた世の中の作品を見ると、いろんな角度で書かれていますが、私の場合は圧倒的に「教室小説」。『かがみの孤城』は学校に行ってはいないけれど、それでもそのジャンルだと自分の中ではとらえています。本作も原点に戻ったと言われることが多いですが、ある方に「上から見ると同じ地点に見えるけど、確実に高さも見えている視野も違う。螺旋階段を上っているようだ」と言われて、ああ、私がしたいことはそういうことかもしれない、と思いました。来年でデビュー15周年なので、15年後ぐらいにまた10代の数人による密室劇に、また違う挑戦ができたらいいなと思います。


張:それは楽しみですね。小説を書くためにどの様なことが原動力になっていますか。


辻村:小学生の時、クラスメートたちが交換日記の延長のような形で同級生をモデルにした子たちが登場する恋愛小説を書いていて、小説を書いてもいいんだと知りました。そのとき私はホラー小説を書いたので、恐くて誰も読んでくれなかったけれど(笑)、当時のノートを見るとちゃんと完成させています。読んでもらえないのに最後まで書いていたのを見ると、拙いものではあるけれど、当時の自分の情熱みたいなものを感じます。

小学生から大学生になるまでが、人生で本を読むのが一番楽しい時期でしたね。不遜な読者だったので、好きな作家に対しても「出るのが遅い」「登場人物がマンネリ化している」と無責任に考えるような子でしたが、今の私の小説を当時の自分が読んで、「大人になってこんなの書くようになっちゃったんだ」と軽蔑されたらおしまいだなと。『かがみの孤城』は「大人のくせにやるじゃん」と思ってもらえそうなので、当時の自分にわたしたい1冊ですね。当時の私は褒めるときも不遜な態度です(笑)。


張:当時のご自身を意識していらっしゃるから、常に読者目線が作品に活かされるんですね。


辻村:作家デビューしたいと書き続けていたものが、デビュー直後に、どっちを向いて書くか、商業作家としてどうしていくか、わからなくなったことがありました。そのときに担当編集者から「小説はたった1人の自分の胸の中にいる、信頼できる読者に書いていけばいい。万人に書くとことばにならない」と言われ、それが励みになりました。その「胸の中にいる読者」には、読書が最も切実で、楽しかった10代の自分自身を想定して書いています。


張:読者には作品を通じてどんなことを感じてほしいですか。


辻村:どう受け取るかは読者の感覚次第です。合わないと思ったら、その読者の感覚が正解です。読書は自分の心を映す鏡でもある。作者がいくら書いても、読者は読みたいことをそこに読むんです。自分の中にないものは読めません。年月を経て読み方が変わることもあります。いろんな受け取め方をしてほしいです。


『かがみの孤城』の背景



張:『かがみの孤城』は、まさに時間(とき)を「デザイン」されたような小説だなぁと実感し、最後の展開には涙をこらえて読みました。


辻村:そう言っていただけて本当に嬉しいです。子ども向けの作品を多数出版していて、私もずっと読者としてお世話になってきたポプラ社さんの依頼だったので、書くなら絶対に10代の主人公の物語と決めていました。主人公のこころは中学生ですが、中学生の時に読むと一番共感できるとは限らないと思うんです。只中にいるときには気づけないことに気づいたり、多くを感じ取れるのは、ひょっとすると、その時代を過ぎ去った読者の方なのかもしれないと。子ども時代に読んでからと、大人になってから、人生の中で2度出会ってもらえたら嬉しいです。


張:鏡の中での冒険にはハラハラドキドキしました。


辻村:鏡の世界の入り口で書こうと思ったきっかけが、不登校の子の存在でした。学校に殺されるくらいなら行かなくてもいいという風潮がようやく強くなってきたけれど、緊急避難として学校を休む選択をしてもそのあとどうするのかは、正答がありません。私たちは正解のない社会を生きている。学校に戻すのがゴールではありませんし、休んだその後は、今度はその子の数だけ道があると思うんです。何が一番いい道なのかを考え続けることからは逃げないでいたい、という気持ちでこの本も書きました。学校に行かないことで、本当は出会うはずだった友達や、できるはずの経験が奪われるのはあまりにももったいないし悔しい。その子たち同士を会わせたいと鏡を光らせました。


張:辻村さんが鏡を光らせて、不登校の子たちを迎えに行ったんですね。時を超えたつながりを感じますよね。


辻村:私の場合、10代の頃に鏡が光らなかった代わりに本がありました。周囲に自分を理解してくれる大人がいなくても、本の作者は私をわかってくれていると思えたんです。また、同じ作品を面白いと思って読む仲間がどこかにいると思うと救われる思いがした。まだ会っていないけれど、自分には仲間がいると思えるのが本の存在でした。

自分の本が、この作品の鏡のように誰かをどこかに連れ出せる存在になってくれたら嬉しいです。今以上に人に響くものを書く、また誰かに読まれるために書く。その感覚を失わず、自分がいかに本の世界が好きだったかを思い出しながら書いていきたいです。


張:今回の作品で、取材をしていて印象に残っていることはありますか。


辻村:スクールカウンセラーの先生にお話を伺ったときに、「私たちの仕事は風のような存在でありたい」と言われたんです。「あの先生のおかげで」と名前に感謝されるよりも、気づいたらいつの間にかつらい時期を終えていた、知らぬ間に成長していた。その背中を押してくれた、自分を引っ張ってくれる風が吹いていたという感覚だけが子どもたちに残ってくれたらそれでいいと。こころたちが過ごした城も、そんな風のような存在なのかなと思います。この作品自体が、読者にそう思ってもらえたらいいですね。


張:親にも読んでほしいなと思いましたね。


辻村:今回、サイン会やお手紙などで、お子さんが親御さんに薦められて読んだというものや、その逆に親御さんがお子さんに薦められて、という双方向からの声を聞きます。子どもにとって、大人に薦められるものって反発もあると思うんですけど、大人が安心して薦められる本であると同時に、子どもが自分で見つけて教えてあげたいと感じる存在になっている。そのことが、ものすごく誇らしいです。


10代・中学生を描く理由



張:季節の流れの感覚や時間の流れの感覚が豊かですよね。


辻村:時の感じ方が、私が以前は水、今は蜂蜜と変わったように、その人がどんな状況にいるかで、同じ時間を生きていても時の流れは平等ではないと感じます。こころたちは中学生。大人より、遥かに濃密な時間を生きています。私自身、中学生のころはすごくいろんな体験をした覚えがありますが、振り返ってみると学校と自宅のほぼ半径10km圏内での出来事に限られているんですよね。後で振り返るとすごく意外ですが、それが時間の密度なのかなと。その感覚を大事にしていきたいですね。


張:10代の生きづらさを書く理由は何ですか。


辻村:小中学生時代がすごく楽しかったから書いているわけではなく、むしろ、すごく楽しそうに見えていた子、学校で目立つ子は他にたくさんいて、私自身は、クラスの中で率先して何かをするタイプではありませんでした。特に中学時代は息苦しかったですね。小学生は大人の庇護下にあり、大人を無条件に信頼し、従順でいれば教えてもらえることがたくさんある。逆に高校生はバイトができるなど自由度が高い。一方、中学生は、自分の力でできることが少ない。小学校より遥かに大人になろうとしているから、大人に対してもただ従順なだけではいられないし、教室でのクラスメートとの関係性も一度決まるとなかなか変えられない。狭い教室の中が、世界のすべてになってしまいます。


張:中学生のころは、思った以上に息詰まった感じだったんですね。


辻村:私は長期の不登校は経験していませんが、一日一日を積み重ねてどうにか通っているという日々で、不登校の選択をした子たちのことは、「逃げた子」ではなく、「休む勇気を持った子」だという気持ちでした。だから今回のような作品になったんだと思います。ただ、当時から小説を書いていて、それが学校に通う上で私の場合は支えになりました。叶うなら中学生、高校生で作家になりたかったんですよ。24歳でのデビューは、世間的には早いと言われますが、実は自分の中では遅いデビューでした。


張:なるほど。その当時から早く作家になりたかったと。


辻村:『かがみの孤城』は中学生の自分に読ませたかった本であり、中学時代の自分が書きたかった本です。だけど当時の私ではまだ言語化できなかったことがたくさんあって、今大人になってようやくことばにできるようになりました。子ども時代は「どんな人とも話し合えばわかり合える」とそれが正解のように言われるし、対話はもちろん必要だけど、その考えを押し付けられることで苦しむ人もいっぱいいる。唯一無二の正解なんて本当はないし、見えているものが違う人とはわかり合わなくていいと今は思います。そのことを、こころたちを通じた物語の中でなら伝えられるかもしれない、と思ったんです。


張:子どもの心理描写が秀逸ですね。


辻村:今でも自分のどこかが中学生なんだと思います。「どうしてこんなに中学生の気持ちがわかるの」と聞かれますが、デビューしてすぐのころはそんな質問はされなかった。それだけ今の私が大人に見えているんだなと思います。そのあたりの気持ちが『かがみの孤城』にはより強く出ましたね。

実際にあったことを書くのとは違っていて、あの空気の中で起こってしまってもおかしくなかった「起きたかもしれないこと」を意識して書いています。リアルを書くのは小説の仕事ではありません。実際に起こったことではなく、このみんなが共通して見ているリアリティの中で明日起きるかもしれないことを考えて書いています。


張:お子さんが小学生になられて、だんだん母親目線も作品に反映されてくるようになるのでしょうか。


辻村:こころたちに自分の子どもを反映して書くようなことは実はまだほとんどありません。ただ、無意識の行間のようなところには影響が出ているのかな、と思います。今はまだ、登場人物は私自身であり、私自身の友達のような感覚です。『かがみの孤城』を書いてしまったので、今後、いろんな人に「さぞや子どもの気持ちを理解した良い子育てをされているんでしょうね」と思われるのがちょっとプレッシャーになりつつあります(笑)。


張:子どもがいつか大人になるのに、そこには見えない壁というか、境目があるように言われることもあります。


辻村:ある日突然、大人になるのではなく、子どもと地続きにあるのが大人ですよね。その感覚を理解したうえで書いています。


張:ある方が「30代は大人の10代だ」、またある方は「人生は60歳から新たにスタートだ」とおしゃっています――すると70代はシニアの10代でしょうか(笑)。感覚って大事ですよね。


辻村:大人になっても“大人の初心者”だと感じる経験は誰にでもあると思うんです。子どもは大人が思うほど子どもじゃないし、大人も子どもが思うほど大人じゃない。初期の作品では、自分の気持ちが圧倒的に10代に近いので、大人の理不尽な行動に「大人め!」と憤る気持ちで書いていました。大人は立ち向かい、戦う対象だった。大人の万能性を信じているからこそそんな書き方もできたんですね。

今は、大人の理不尽さには「大人がごめんね」と思います。子どもの感覚と地続きで、大人が万能じゃないことも理解したうえで、ふがいないと思うし。子どもたちがいかに大人に心を開かないかも知っている反面、だからこそ、“こんな大人でも頼ってほしい”という気持ちになってきたんだなと思います。


張:高校を卒業してから、大学では教育学部に進まれた理由は?


辻村:小学校の先生になりたかったんです。学校が楽しくないと思っていたのに、学校の先生を見て「他のクラスメートが学校を去っても、自分は先生になって戻ってくる気がする」と漠然と考えていました。でも教育学部で友達が人生を懸けて教師になろうとしている姿を見て、自分は絶対に敵わないと思った。当初は小説を書きながら教師を、と思っていたのですが、とてもそんな考えでは無理だと思ったんですね。自分が人生をかけてやりたいことは何か、と考えて、小説家を目指し続けることにしました。でも教育学部で学んだことや、教育実習での子どもたちとの出会いを活かせる仕事に就いたと自負しています。


作家としてデビューするまで



張:学校の先生よりも作家を選んだわけですが、どういう将来をどう描いていたのでしょうか。


辻村:大学を卒業した後、実家に帰るかもすごく迷いました。でも親は「地に足つけて夢を見る方法もある」と言ってくれたんです。最初に地元へ戻ったときは、このまま作家になれなかったらどうしようとも思いましたが、なることでしか道は拓けないとも考えていました。

親の勧めで試験を受けた地方団体に就職し、面接で小説を書いていることを話したら、面接してくれた上司に「今度入社するのは小説家になる子だから」と紹介されて、すごく恥ずかしかったのを覚えています。でも職場では人に恵まれ、「いつか独り立ちするまで、みんなで面倒をみよう」と話していてくれたことも後で知りました。

社会人途中で作家デビューしましたが、職場の中では自分が最も未熟だと自負していたので、浮かれ気分にならないで済みました。先輩に追いつきたいという気持ちもあったから、すぐに仕事をやめようとも思わなかったですね。


張:ご家族も会社も、理解のある人に恵まれたんですね。


辻村:「この原稿を書かないと家賃が払えない」という、生活のための作家活動と無縁でいられたので、純粋に書きたいことを書けました。書きたい気持ちを、余裕をもって追いかけられた兼業の5年間は今も宝物です。


張:生活のメリハリをつけるには、良いトレーニングになっていたと。会社に入らず作家になることは考えませんでしたか。


辻村:卒業して、作家業だけを追い求める方法もありましたが、親が心配して、とりあえず地元でこの試験だけは受けてくれと言われて。なりゆきの結果だったので、夢のためにと東京に残っている友人に顔向けできない気持ちがしたり、ストイックじゃない自分に後ろめたさを感じたりもしました。でもデビュー直後に、尊敬していた作家の先生方から「地元に戻って就職したこと、現実的に夢を見ようとした選択はすごく正しかった」と肯定していただけました。今は10代の子から「作家になりたい」と相談される立場なので「就職活動が嫌で作家になるなら、まず就職しよう」とアドバイスしています。


張:すごくいい話ですね。チャンスは自分で生み出すこともできますが、時がくれる、ふってわいたような意図しないチャンスに気づいて、それをどう活かすかは本人次第ですからね。ご自身が肯定的に捉えて、仕事をしながら執筆することで、新しい世界の扉が開いたんですね。


辻村:山梨と東京とを行き来しながら、都会と地方の両方の時間の流れ方を感じることができたのも良い経験でした。どちらに所属しきることもないままに。このことは今の自分の基盤になっています。どんな経験も無駄にならないと、最近、身をもって感じています。


張:東京より山梨のほうが、季節感が出ますよね。好きな季節はありますか。


辻村:春、新学期を迎えるときと、物寂しさをたたえた夏の終わりですね。何かの節目が多いんでしょうね。そこと呼応するように、書きたい気持ちが強くなります。その時期に気持ちが乗っている作品のクライマックスを抱えていると嬉しくなりますね。


張:春は新年度で世の中がいっせいに切り替わりますが、夏の終わりは人によって感じ方が違うのでは。


辻村:その時期は、急に日差しの色が変わってくるので、季節の変化を切に感じます。虫が鳴き始め、物悲しいけれど、前の季節にふっと思いを馳せられる瞬間があるんです。高校生のときは、みんなが帰ったあと学校に残っているときの、誰もいない廊下の雰囲気が好きでした。その風景を描写したいと初めて思ったのがこの季節でした。それまではこんなミステリーを書きたい、あるいはこんな感情を描写したいということが多かったのですが、この季節や風景、雰囲気を共有できる人がいるんじゃないかと初めて思えたのです。


張:時間の描き方や、作品を書く際の時間的な意識はどうされていますか。


辻村:どの季節から始めるのかをすごく大切にしています。『朝が来る』では、ラストシーンを夕立の後にしたくて、ラストから逆算して、物語の始まりの季節を合わせました。何か指標や制限があった方が、全体が整う感じがあって、その中でも特に時間はすごく大事ですね。


張:仕事も生活も、なにか制限があった方が、メリハリがつく側面がありますからね。今日はどうもありがとうございました。



※この記事は【時間デザイン研究所】に掲載されていた記事を転載しています。内容は掲載当時のものです。

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