時間〈とき〉ラボ運営事務局 さん
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プロ野球という厳しい勝負の世界で、キーポジションであるキャッチャーを27年間、3021試合にわたって務め、45歳まで現役でプレーした谷繁元信氏。リーグ優勝5回(日本一2回)を果たし、歴代屈指のキャッチャーとしての地位を築いた同氏だが、ここまでの結果を残すことができたのは、持って生まれた才能によるものではなく、1試合1試合、ひいては1球1球の積み重ねを大切にしてきたからだという。谷繁氏が考えるキャッチャーというポジションの魅力、そして時間デザインとは。
谷繁元信(たにしげ・もとのぶ)
1970年生まれ。江の川高校(現・石見智翠館)卒業後、ドラフト1位で横浜大洋ホエールズ(現・横浜DeNAベイスターズ)に入団。98年にはベストナイン、ゴールデングラブ賞、最優秀バッテリー賞を獲得しチームの日本一に大きく貢献。2002年に中日ドラゴンズに移籍。14年シーズンから選手兼監督になり、翌年現役引退を表明。通算3021試合出場、27シーズン連続安打、同本塁打を達成(いずれもNPB歴代最高)。16年に中日ドラゴンズを退任後は、各種メディアで評論活動を行う。著書に『谷繁流キャッチャー思考』(日本文芸社)。
聞き手:日本能率協会マネジメントセンター 専務取締役 張士洛
張:本日のテーマは「時間デザイン」ですが、谷繁さんはキャッチャーとして、野球をどうデザインしてきたのでしょうか。
谷繁:あえてデザインというならば、年間を通してということになりますね。1試合だけではなく、開幕から日本シリーズまで1年を通してということです。僕たちの最終的な目標は、やはり日本一です。11月の日本シリーズを視野に入れて、そこにたどり着くには何が必要かを考え、時間を逆算して準備していくのがプロ野球選手だと思うのです。ただ、ある程度の実績を積んでいかないと、そういう発想はなかなかできないものです。僕は、キャッチャーとして、運よくそういうことを発想できる立場にいました。
張:シーズンが終わった瞬間から、次のシーズンのことを考えて準備するということですね。では、もう少し短い視点、1つの試合、あるいは同一カード三連戦といったような見方からはどうでしょうか。
谷繁:3連戦ならば、3試合目のことを考えてひとつの試合を組み立てます。そして、その3試合で得たことを、同じチームとの次の対戦につなげていくのです。そうして各チームと対戦を積み重ねていって、シーズン終盤やクライマックスシリーズに、1年間蓄積してきたものを活用していくのです。
張:プロセスの積み重ねで勝負に必要な引き出しを増やし、「ここぞ」というところで活かすというわけですね。ゲーム中のバッターとの駆け引きのなかで、時間の使い方を工夫するようなことはありますか。
谷繁:ゲーム中に「時間を操作する」という意味では、例えば、サインを出すタイミングを早めたり遅くしたりすることはありますね。
張:対戦するバッターの様子や、ピッチャーの調子をみながら、「間」の取り方を変えるのですか。
谷繁:そうです。あとは試合の流れですね。味方の試合の流れが悪いと感じれば、守る時間を短くするために、サインを出す間合いを詰めます。ピンチのときは、同じテンポを続けるとバッターに合わせられてしまうので、少し遅いテンポにして間合いを変える。そういう時間をキャッチャーが創るのです。
張:常にテンポを意識されているのですね。
谷繁:そうですね。バッテリーを組む先発ピッチャーに対しては、初回から相手のバッターが一回りするまでは、なるべくテンポよく投げさせ、中盤以降は、そのテンポをさらに上げるときもあれば、逆に緩めることもあります。7~9回の終盤というのは、あまりテンポを上げることなく、少しゆっくりめにすることが多いですね。
張:横浜時代の佐々木主浩さん、中日時代の岩瀬仁紀さんと、球界を代表するクローザーとバッテリーを組んでこられましたが、彼らが登板するときというのは、まさに試合の一番大事な時間帯です。いまおっしゃられたようなテンポというか、時間の使い方は、ピッチャーによっても異なるのでしょうか。
谷繁:当然、ピッチャーによって違いますが、その2人というのは、面白いことに、試合が始まってから終盤に彼らの出番が訪れるまで、同じようなペースというか、同じルーティンで過ごしていましたね。彼らには、いつも同じペースでマウンドに上がってきてもらいたかったので、不自然に僕が寄っていくのではなく、彼らのペースに合わせて待っていました。そこで一声かけて「今日はこうしよう」と。彼らに関しては、僕も常に同じペースでいることを意識していました。
張:キャッチャーとして相手バッターの狙い球を見極めるとき、どんなことを意識するのでしょう。
谷繁:それは、僕が「どう感じるか」ですね。感じて、決断して、サインを出さなくてはいけないのです。そのときに迷いたくないのです。そこで迷うとサインが出せないし、悪い結果ばかりを思い描いてしまう。だから、必ず相手を抑えるというプラスのイメージを持つようにしていました。
張:ご自身がバッターのときは?
谷繁:自分がバッターのときは、どうしても「僕がもしキャッチャーだったら」という視点で考えてしまいます。自分が谷繁を攻めるのならばこう攻めるだろうと。キャッチャーの立場になってヤマを張るわけですが、なかなか狙い通りの球は来ないのです(笑)。
張:老練な谷繁さんだから、意識して特別な配球をされて裏をかかれてしまうのでは(笑)。
谷繁:そうなのかもしれません。でも、それで打てないときは、僕の読みが間違っていて、相手のキャッチャーの読みが正しいということなんですよ。
張:相手が誰であれ、「こうすれば打ち取れる」という正解はないのですね。
谷繁:そうです。キャッチャーの配球で何が正しいという100%の正解はありません。でも、「やってはいけないこと」というのが必ずあって、それをやらないことが大事なのです。例えば、3点をリードした6回の1アウトランナー1塁という場面で一発のあるバッターを迎えたとします。ここでバッテリーがいちばんやってはいけないのは、まず、ホームランを打たれること。次が長打です。それを回避するために、キャッチャーはどういう配球でいこうかと考えます。打席にいるバッターの強みと弱み、ピッチャーの持ち球を想定して、この球はかなりの確率でホームランを打たれてしまうというボールさえ投げさせなければいいのです。そのときに、ホームランや長打にならない球種やコースを要求したのに、ピッチャーがコントロールミスをして打たれてしまった。これは仕方がない。でも、キャッチャーが自ら、打たれる確率が高い球種を要求してしまう。これがやってはいけないことなのです。
張:そういう考え方は、横浜時代に当時の大矢明彦監督から配球を全部覚えておけと指導されたことが大きかった?
谷繁:そうですね。配球は1試合で120球投げたならば、すべて覚えていました。それが積み重なって、引き出しになって、瞬時に、これはやってはいけないからこっちでいこうと出てくるのです。ただ、そこに至るまでには長いプロセスがありました。この7月に『谷繁流キャッチャー思考』という本を出させていただきましたが、なぜ今、本を出してまでこういうことを伝えたいかというと、僕が15年かかったことを5年でできるようになれば、今後もっといいキャッチャーが育つのではないか。そういう思いがあったのです。僕はこういうことが身につくのに時間がかかったし、遅かったですから。
張:成長には時間がかかるものですけれども、特にキャッチャーは時間がかかるのでしょうか。
谷繁:僕の場合、横浜時代に初めて優勝を経験して、そこからだんだん認められるようになっていきました。キャッチャーの場合、よく経験がものをいうといわれますが、たった1回の優勝経験だけでは、先も読めないし、相手のこともよくわからない。でもその後、試合に出続けることによって経験が積み重なっていって、やっと35歳をすぎた頃に「あっ、これだ」というのがわかり始めたんです。
張:具体的には、どんなことでしょう?
谷繁:いい意味でも悪い意味でも、試合の行き先が読めるようになりました。例えば、接戦でも今日は勝てるなとか、負けていても今日はまだいけるだとか、そういうものが感覚的にわかるようになってきたのです。
張:そういう感覚が身につくベースになったのは、感じたことをすべて書いて記録する習慣を身につけたからだと伺っていますが。
谷繁:僕がドラゴンズの監督をしているときは、チームのキャッチャーに対しては、とにかく感じたことをメモしておけと言いました。ピッチャーの特徴、癖、性格……すべてです。例えば、AというキャッチャーとBというキャッチャーがいたとすると、この2人の性格は当然同じでありません。それぞれの観察の仕方が違うからです。CというピッチャーのことをAはこう思っているけれども、Bは違う見方をしているかもしれない。だから、とにかく自分の感じたままを書きなさいと。
張:メモを書いたら終わりではなくて、振り返って学ぶことも大切ですよね。ビジネスパーソンでも、メモを書く、記録することまではできても、書いたことを見返して、そこから学ぶことができない人が意外と多い。谷繁さんは書いたことが次の試合に生かせていたわけですね。
谷繁:僕は、ある時期からノートではなく複数年の出来事を並べて書けるタイプの手帳を使うようになりました。前の年のこの日、この試合ではこういう結果でこんなことがあったと。または自分はこう感じたと。それがあれば、すぐに振り返れるのです。
張:ノートをやめて、手帳にした意味は?
谷繁:毎日、継続しやすいなと思って。ノートだと遠征バッグに入れてしまうのですが、手帳ならば常に持って歩けるし、日付が入っているから試合の結果も、文章も書ける。生活の一部として活用できました。ノートだと、書くことがあまり身近に感じられなかったのですが、手帳にしたことによって、記録することが毎日の生活の一部になりました。
張:著書でも、きちんと振り返ることともに、プロセスを大事にすること、目標設定の重要性についても触れられています。これはビジネスパーソンの教育でも同じです。どんな世界でも目標を決めて、達成してもしなくてもプロセスを振り返ることが大事です。こうした考え方は、若いころからお持ちだったのでしょうか。
谷繁:それをやり始めたのは、プロとして真剣に野球に取り組むようになってからですね。横浜に入団して、4年目くらいからでしょうか。以来、とにかく毎日日記のようにつけるようになったのです。これをやっていかないと、このままではプロで通用しないぞと。そういうことに気づいてからですね。高校時代は与えられたことやる、ただそれだけでした(笑)。
張:ところで、谷繁さんが野球を始めた最初のきっかけは何だったのでしょうか。
谷繁:父親の影響ですね。父親は、とくに高校時代に選手でならしたというのではないのですが、町の草野球チームに入っていて、とにかく野球が大好きでした。その父親について野球をやっていました。小学校2年生のときに町のチームに入って、1軍の試合に出られるようになったのは、5年生の頃からですね。中学校は、部活の軟式野球部でした。
張:そして、高校はスカウトですよね。
谷繁:結果的にそういう形ですが、実は最初に志望していた高校は落ちて、どうしようかと迷っていたところに江の川高校(現・石見智翠館)からお誘いがありました。今考えると、それも僕の運命だったのかなと。あのまま、もし最初に志望した高校に行っていたら、現在の自分があるかどうか? あの出来事があったからこそ、いまの自分があるのだと思います。
張:キャッチャーに転向したのも、江の川高校の監督の影響ということでしたね。
谷繁:そうです。最初の志望校に行っていたら、キャッチャーをやっていないかもしれませんから、プロになったかどうかも分かりません。
張:人生のきっかけって、わからないものですよね。ところで、打撃の神様と呼ばれた川上哲治さんは「ボールが止まって見える」という言葉を残しましたが、そういうことは実際にあるのでしょうか。
谷繁:27年、3021試合のなかで4試合だけありました。
張:4試合と特定できるところがすごいですね。
谷繁:鮮明に記憶に残っています。あれは、横浜スタジアムでの1試合と、それに続く神宮三連戦の4試合です。中日時代でした。ホームラン3本、4試合連続猛打賞でした。そのうち2試合は、4打数4安打か、5打数5安打だったと記憶しています。これがまさに川上哲治さんのいう「ボールが止まって見える」状態だと。配球も球筋も、すべてが自分のイメージ通りでした。面白かったですよ(笑)。
張:そういうこともあるんですね! そのあと、同じようなことはなかったのですか?
谷繁:その4試合だけで、その後は二度となかったです(笑)。
張:高校時代を含めて、つらかった時期とか、挫折をした経験などはおありですか。
谷繁:大きな挫折というのはないのですが、プロ4年目のときに、なかなか結果が出せず、このままだとやっていけない、クビになると感じました。その後のことですと、ある監督に「あいつはキャッチャーとして通用しない」と言われたことですね。直接言われたわけではないのですが、そういう話が耳に入ってくる。試合に出られないことも多くなっていたし、辛かったのは、その頃でしょうか。
張:それをどう乗り越えたのですか。
谷繁:「いまにみていろ、絶対に認めさせてやる!」という思いでいましたよ。周りから余計なことを言わせないようなキャッチャーになってやろうと。そのためには何をするべきか、また自分に足りないものは何か、必死で考えました。
張:横浜で優勝した頃と重なりますか? あのときは、レギュラーで出ていらっしゃいましたよね。
谷繁:優勝したときは28歳だったと思います。当時レギュラーになってはいたのですが、キャッチャーって、勝たないと評価されないんですよ。だから、やっと1つ優勝して日本一にもなれた。それでひとつ評価されたなと。それを今度は継続しなければならないのです。一度だけならば良い成績を残せる人はいくらでもいます。でも、継続するために何をしなければならないのか。そこでまた違うことが始まるのです。僕は、その時その時によって、同じことではなく違うことをやっていました。それが結果として45歳まで現役でいられた理由だと思います。
張:仕事を覚えていくと、だいたいこのやり方でいいだろうと思いがちですが、それでも新しいことをやって、どん欲に吸収していった。それは、継続していかなければという思いが相当強かったのでしょうか。
谷繁:監督が変わると、選手の扱いも変わるものですが、ある監督のときに、控えにまわることが多くなったのです。そこで考えたのは、じゃあ、どうすれば試合に出られるようになるのかと。まず考えたのは、勝率を上げることです。僕がマスクをかぶった試合は、他のキャッチャーよりも勝率が高いということになれば、僕を使わざるを得ないだろうと。じゃあ、その勝つためには何をしなければならないのか。それは、相手を徹底的に調べあげる。自分のチームのピッチャーのことを知り尽くす。そのことを今まで以上にやるようにしました。
張:おかれた環境からも、自分を成長させないといけないと思ったのですね。今思うと、大変だったけれども良い時間でしたか。
谷繁:そうですね。だからここまでやれたのだと思います。でもそのときは、45歳まで現役だとか、3000試合出場だとか、思ってもいなかったです。正直、2000本も打てると思わなかったですし。そう考えると、小さな積み重ねやプロセスがとても大事だということに行きつくのです。
張:正確に言うと、いろいろなことに挑戦していくプロセスですね。続けるといっても、ただ同じことを繰り返すのではなく、その時々で違ったやり方を探っていくと。
谷繁:めざすべき姿を思い描いて、それに向けて何をしなければならないのかを考え、それを継続していく。大変なことですが、それが一番大事だと思います。
張:ビジネスパーソンも同じですね。それができる人は伸びます。成長していく人と、横ばいになってしまう人との差です。
谷繁:僕は後輩へのメッセージとしてよく言うのは、とにかく「後悔しない」プロ野球人生を送ってくれということ。よくテレビで戦力外になった選手の番組をご覧になると思いますが、あれを見てどう思うかです。本当に苦しんだ選手も中にはいるんでしょうけれども、「もっとやっておけば良かった」という人が大半なんですよ。そうではなく、プロならば結果はどうあれ「俺はもうやり切った」と言える状態で辞めていってほしいのです。そのために、気づかなければいけないことに気づけるようなアドバイスをしてあげたいと思っています。
張:これから人生は長いですし、プロ野球にもまだまだ携わっていくと思いますが、今がまた学びの時間というわけですね。
谷繁:そうですね。解説の仕事をしながら、ゲームの運び方や、キャッチャーがこの場面でやられたら嫌なことって何だろうとか、そういうことを考えながらゲームを見させてもらっています。
張:最近、戦術やセオリーで大きく変わってきたことというのはあるのでしょうか。
谷繁:最近は2番に強打者を置くチームが増えていますね。これまでのように、バントをすることが2番バッターの役割ではなく、打っていくことの重要性がクローズアップされているということです。それは、裏を返せば、2番を打てるようないやらしいバッターが減ってきたという見方もできます。いま12球団を見渡すと、長打が打ててバントなどの小技もできるというのは、広島の菊池涼介くらいです。
張:これまでは、2番打者に長打は期待しなかったですよね。
谷繁:そうです。3番、4番につなげるための「犠牲の」2番という考え方でした。そういう野球から、より攻撃的な野球へと変化していると思います。それをファンの方も望んでいるのならば、それはそれでいいと思います。でも、昔からの伝統的な野球も守っていきたいですね。ピッチャーでも、分業制が確立されてからずいぶん時間がたちますが、先発完投もどんどん減ってきています。
張:谷繁さんが横浜時代に優勝された頃よりも、リリーフはもっと細かくなっているのではないでしょうか。ホールドというタイトルもなかったですし。そういうなかで、我々が観戦するときのポイントなどはありますか。
谷繁:僕はやはりキャッチャー出身なので、キャッチャーがどういう配球をしているのか、どういう動きをするのか、そしてどういう時間のつくり方をするのか…そういった細かいところを見てほしいですね。ホームランを打った、三振したというのは誰が見たってわかりますから。
張:最近はデータ野球が進んでいますから、個々のバッターに合わせて守備位置を変える「シフト」も極端になってきました。
谷繁:そうですね。でも、データに頼らず、自分で判断して動ける選手も結構いますよ。そういう選手というのは、同じバッターに対しても試合ごとに違う動きをしています。観戦のたびに、そういう選手の動きを観察するのも面白いかもしれません。
張:外野手も動きますよね。昔は定位置にいたものですが。
谷繁:いまも定位置から動かない「指示待ち野郎」はいますよ(笑)。結果的に予想が外れても、動かないよりも動くべきなんですよ。たとえ失敗しても、そこから学べばいいのです。
張:野球では、予期せぬこともよく起こりますしね。
谷繁:本当にそうですね。僕は3021試合も出ましたが、まだ見たことのないプレーや経験したことのないようなゲーム展開がこれから出てくると思うのです。現にこの間、ドラゴンズが10点差をつけながら逆転負けした試合がありましたが(2017年7月26日の神宮でのヤクルト戦)、僕は長いこと現役を続けていても10点差をひっくり返されたことなんて、見たことありませんから。セリーグでは、66年ぶりのようです。そういうことも起こるのです。だから、いま解説の仕事などを通じて、いろいろなゲームを見ることで「こんなことがあるんだ」という発見があれば、それがまた僕の野球人生の財産になっていくと思います。
張:さっきの2番打者の話ではないですが、打力も上がってきましたし、今後、プロ野球はまだまだ面白くなりそうですね。
谷繁:そうですね。そういうことで盛り上がっていくといいですね。僕はどういう形で恩返しできるかわかりませんけれども。
張:まだまだですよ。次回は、監督に就任された谷繁さんにインタビューするのが我々の目標ということで。今後も、ぜひ頑張っていただきたいと思います。
※この記事は【時間デザイン研究所】に掲載されていた記事を転載しています。内容は掲載当時のものです。